少し、ゆっくりしたいな"
正直なところ、しばらく体を休めたい気持ちがあった。今後の自分のことについて、ゆっくり考える時間を作る為、という理由を話し、私は会社へ辞表を提出した。社長はこうおっしゃった。「両立が大変だと言うことは、重々承知している。それでも頑張って仕事は続けなさい。今、相当疲れているようだから、まずあなた自身が、体をしっかり立て直さないと。何か気分転換をしなさい。自分の健康は自分で管理しなきゃ、あなたの面倒は誰も見てくれない。例え仕事を辞めて介護に専念しても、今のあなたの姿を見て、お母さんは決して喜ばない。自分の逃げ場所を作りなさい。」
当時、私は母を在宅介護していた為、仕事と介護の両立に疲れ、体調を崩していた。両立に限界を感じ、仕事か母か・・・どちらを選ぶべきか私は悩んだ。体を立て直す・・・逃げ場所・・・
その言葉が、一瞬、私への一喝なのか、同情の言葉なのか、判断に迷った。やがて、このあと私はカーブスへ入会し、この言葉の重みを、身に染みて実感することになった。そして日々の生活を送る上で、カーブスは大きな励みとなり救いとなった。話を聞くうち、社長自らが、ご両親の介護経験者ということ、そして介護を通しての経験・失敗談、親への接し方。自らの健康管理について話をしてくださった。
 この助言がなければ、辞表は受理され、私は仕事を辞めていた。そして母の介護に専念したはずだ。そしてカーブスへの入会はなかったろうと思う。カーブスの入会は、この助言が背中を押してくれた。そう考えると、人との出会いは大切だ。何処でどういうきっかけが待っているか分からない。体調を戻して元気に働くことで、恩を返していこうと心に決めた。自力での呼吸が困難になった母は、7年の在宅介護ののち入院した。現在も闘病中だ。私は仕事帰り、母のもとへ向かっている。
さあいざ、カーブスに入会したものの・・・ステップボードにつまずき、マシンにつまずく。尻餅をついたのも一度や二度ではない。挙句の果ては、チェンジ移動で左右を間違え、隣の人とぶつかってしまう有様だった。いくら運動音痴とはいえ、左右を間違えるとは・・・当時のスタッフのかたは大層呆れただろう。膝を上げているつもりが上がってない。すべてのマシンがとても重く感じられ、自分の体力のなさに気落ちしたものだ。筋肉痛もひどく、2年はとれなかった。ストレス解消の為、体力作りの目的で入会したカーブスライフは、始めの方は先が思いやられるような、こんな調子でスタートした。
ここに一冊のノートがある。題して「カーブスライフ ノート」。表には何も書いていない。恥ずかしいので、心の中だけでそう呼ぶことにしている。自分を励ますつもりで、入会してからの自分の来店回数記録を残すため、私はノートを用意した。カーブスカレンダーを作成し、それをノートに貼り、一回通うごとにスタンプを押している。1週間のうちに3回以上通えたら、ご褒美として週末の日曜日の欄にシールを貼り、自分の励みにした。カレンダーの他に、計測のグラフやカーブス通信なども、切り抜いては、ノートに貼っていった。
このノートが、あと1ページでとうとう一冊目を終了する。ノートを作成した当初、「一冊が終るまで、何年くらいかかるかな?ノートが終了する頃、私はどのような姿になっているのだろう」と不安になったのを今でも覚えている。
たぶんノートが終了するころは、入会して丁度8年を超える予定だ。"昔"の私に何か言えることがあるとすれば、こんな感じだろうか。「心配しないで。未来のあなたは、ずいぶんと元気になって、たくましくなっているよ。」
母が病に倒れて以来、私は笑顔を忘れた。ところがカーブスに通いだして、私は再び笑うようになった。周囲によく言われる。歩くスピードが速くなり、歩幅が広くなった。仕事のミスが減り、能率が上がる。そして何より、コツコツと通うことで忍耐強くなり、精神的にものすごく鍛えられた。週二回のごみ出しも、ごみを持ったまま、走って回収車を追いかける技まで身に着けた。
あんなに重かったマシンが軽い。何をしても、とにかく体が軽くてよく動く、疲れない。まぎれもなくカーブスの効果であろう。日数単位で見ると気付かないが、年単位で見ると、去年できていないものが今年できていることに気付く。カーブス以外の場所で、カーブス効果を実感することが増え、そしてこのような自分の成果を人に伝えて、体験に誘うようになった。興味を示している友人にはマガジンも渡した。
ゴールドカードを取得した時は、周囲に自慢した。念願のゴールドカード。運転免許でさえ、なかなか手にできないゴールドカードだ。入会当時はこんなカードがもらえるとは想像もしなかった。この"金色"というカラーに、価値があるような気がしてならない。噂によると10年が経過したら、プラチナカード、というカードもあるそうだ。そして、その次のカードは・・・今からワクワクしている。
マシンに対しての意識もまるで変った。何となく動かしていたマシンも、一つずつ意識しながら研究するようになった。合間に聞こえるチェンジの合図を聞くたび、左右を間違え、移動していた当時を思い出す。クスクス一人笑ってしまう。尻餅をついていた以前の私からは、とても想像がつかない。
自分からメンバーさんへの挨拶も増えた。「こんにちは、また明日会いましょう」。私はカーブスで、あれこれと話をするほうではない。それでも、不思議とカーブスに居るときは一人と言う気がしない。昔の懐かしい洋楽が流れるそのリズムに合わせ、サーキットでマシンを動かしている女性に囲まれるだけで、一体感を感じる。なぜだろう、不思議である。
カーブスのドアを開けた時、ワークアウト中のメンバーさんと目が合う。お互い目が合い、ニコッと笑って会釈をする、あの感じがいい。スタッフはいつも元気に名前で呼んでくれる。中には、大きく手を振ってくれる人もいる。「さあ、やるぞ!」私も着替えてサーキットに加わり、一歩足を踏み出してボードに飛び乗る。すると笑い返してくれる笑顔が幾つもある。ここに来れば、どんなに苦しいことがあっても、必ず笑顔になれる。
笑顔とやる気が、一気に伝染していく瞬間。この瞬間を感じることができたとき、私はカーブスに入会してよかったなあ、といつも思う。やっぱり、この空気と空間が好きだ。極めつけは、この空間に流れる、私の大好きな洋楽のポップ&ロック。なんて贅沢な30分のワークアウト。これだからカーブスはやめられない。
"未来"の私に何か言えることがあるとすれば、こんな感じだろうか。「今日も元気だね!もう充電完了してきた?」カーブスでしっかり充電、そして仕事、またカーブスで充電、そして母のお世話も・・・
みなカーブスに通う女性は、色々な思い悩みを抱え、その背景に色々な人間ドラマを抱えて通っていることに気付く。自分が笑顔を忘れていたときは、こんなことに気づかなかった。色々な思いを抱えて、みんなサーキットで運動。そしてまたそれぞれの場所に帰っていく。
さあ、そろそろ時間だ。窓から普賢岳が一望できる。あのフィットネス施設へ今日も充電に行ってみようか。私にとっての、逃げ道。そして"パワー"という名のエネルギー充電。だから私はカーブスへ通う。