「今日の調子はいかがですか?」サークルに入るとすぐに、コーチの明るい声が追いかけてきます。「絶好調!!」元気な声の返事に、サークル中が笑顔に包まれます。鮮やかな光で始まる、朝の一瞬です。私の一日も、このカーブスから始まります。毎日私は、バスと電車を乗り継いで40分。実家に通いながら、カーブスに来ています。
それまで元気だった母が、腰痛を口にしだしたのは、今から十年近く前のことでした。逆、くの字に腰を曲げながら、それでも母は毎日往復30分の道のりで、買い物をし、家事手伝いをこなしていました。滅多に弱音を口にしなかった母の初めてのつぶやき。それが「足がシビレる」でした。整形外科に通い、病名が「脊柱管狭窄症」と判った時には、母は歩くことが苦痛になっていました。「椎弓形成手術」をしても、母の痛みはなくならず、介護認定3を受けることになりました。母は自分で立ちあがることが、できなくなっていたのです。
「母に手を貸す私が、転んで、ケガをする訳にはいかない!」母と今は元気な父のためにも、何とかしなくては・・・・・・。母の姿を通じて、必要なものは「筋肉」だと実感していました。筋肉をつけるために私は、友人の通うスポーツジムを体験してみました。でも、私に合ったジムはなかなか見つかりませんでした。
そんな私に、ママ友の友人が声をかけてくれました。「カーブスって、知ってる?今、私は通っているの。駅にも近いし、30分で終わるし、忙しいあなたに、ピッタリじゃない?体験もできるのよ!」ふたつ返事で、すぐ体験しました。丁寧な説明を受けて感激。私にも出来る運動に感動。即、入会しました。今から8年10ヶ月前のことになります。
「運動しているし、今の体重が私にとってのMAXだから、もう太ることはない」そう思い込んでいた私は、入会2年目に愕然としました。なんと2キロも体重が増えていたのです。肩を落とした私に、顔なじみのメンバーさんが声をかけてくれました。
「カーブスで運動しているのだから、食事に気をつけてみたら?」カーブスでは、食品のカロリーや栄養のことも教えてくれます。私は朝食のトーストのかわりにシリアルを、夕食の白米に雑穀を混ぜる等、食事に気をつけ始めました。すると半年程たつと、カーブスのメンバーさんから「やせたでしょ?!」コーチからも「しまりましたね」と嬉しい言葉をかけられるように、なりました。気がつくと2キロ増えた体重が2キロ減って、元の体重に戻っていました。
母の一周忌がすんでホッとしたのか、一昨年の夏、リビングでつまずいて左足の中指を骨折してしまいました。整形外科に通いながら、勿論カーブスを続けます。痛みが出るようなことはしなくても運動できるので、代謝が良くなり、傷ついた左足をかばう右足の負担が減っていきました。お医者様も驚くほど早く順調に回復。そして予定通り、骨折の3週間後にはギブスのままでしたが、比叡山延暦寺に参拝することができました。時代劇で有名な近江八幡の八幡堀で、舟遊びも楽しみました。予定していた旅行に行けたことは、ずっと飲んでいるプロテインとカーブスのおかげだと思います。還暦を過ぎた私にとって、夢のような出来事になりました。
すっかり完治したと思っていたのですが、年明けに始まったカーブスの筋力チェックで、左片足では立てないことが判明しました。自分では考えもつかないことでした。歩く姿は以前と変らず、足を引きずることも無くなっていたのに。すぐに、カーブスで体幹を鍛えるようにしました。カーブスに来る度に頑張りました。
すると、3ヶ月後の筋力チェックでは、左片足でも右片足と遜色なく、スクワットができるようになっていました。左右の足のバランスがとれたようで、とても嬉しく思いました。その上、筋力チェックの時に自分の体重を体感するせいか、食事の管理にもより、注意をはらうようになりました。すると、また体重が減ってきました。入会時より2キロ減ったので、増えた頃より4キロ減ったことになります。全て、筋トレのおかげだと思います。
安定はしていますが、父は独り暮しです。私の介護中心の生活は、これからも続いていきます。そして、嬉しいことに父が私のカーブスに影響されました。昨年から体幹を鍛えるデイケアーに通い始めたのです。父の生活も、より活動的になりました。父のデイケアーの日は、私の休日になりました。私にも、週一日の休日が出来たのです。早速、念願のカルチャースクールに通い始めました。興味のある美術展にも、行くようになりました。気持ちも、ずっと前向きになりました。全てカーブスのおかげです。
「では、脈の色を確認しまーす」
笑顔を向けてくれるコーチに、私は笑顔を返すことしかできません。骨折した時の「無理をしないで」とかけてくれたコーチのやさしさ。サークル中のメンバーさん達の笑い声。帰り際の「お疲れさま」の暖かい響き。
この明るい朝こそ、私のエネルギー源です。この場所があるから、カーブスがあるから、長く続く私の介護の道を元気に、歩んでいけると信じています。