私が五三歳だった、十年前のこと。夫と子ども達それぞれが、朝早く家を出て帰ってくるのは夜も遅くなってからという日々になっていた。そして私はというと、子育てが一段落した安心感と更年期からくる体の不調で、家の中で呑気というよりも自堕落な生活に身を任せていた。朝の食事を終えた後、つけっぱなしのテレビの前に据えたソファーに座り込むと、気がつけば夕食の支度の時間。それでも思っていた。「そのうちに以前の私に戻るだろう。今までにも体調の悪い時はあったけれど、いつの間にかよくなっていたではないか」
 しかし気がつけば、きっと来るはずの元気になる日はなかなか来なくて、運動不足による不調が、少しずつ私の体に表れ始めた。床に座った姿勢から立ち上がる時に、つかまって体を支える場所を求めて這うようになった。夜寝ている時に無造作に寝返りを打つと、体中に激痛が走る。何よりも太ってしまい、手持ちの服が着られなくなって、ますます家に閉じこもるという悪循環。そのうちに洗顔や歯磨きさえも面倒になってきた。いつのまにか、体だけでなく心も病んでしまっていたのだろう。
 この状況から抜け出すのは、病院でもなく薬でもなく運動なのだということは頭ではわかっていた。しかしどこで運動をしてよいか見当がつかない。新聞の折り込み広告に入っているスポーツ施設は、もともと運動の好きで元気な人達がかようところのように思えた。そのような時に、テレビのニュースで、運動の苦手な女性でも気軽に筋肉トレーニングが出来る「カーブス」というものが東京に出来たというのを知った。「あんな運動施設が私の町にも出来たらいいのに。でも、こんな田舎町では無理なことだろう」と思っていたら、なんとそれからしばらくして、私の家から歩いて行けるほどの距離のところに『カーブスはなみずき店』がオープンしたのだ。
 すぐに入会した。その時に面談にあたってくれたコーチに、「こんなにガタガタになってしまった私の体と心、元に戻るでしょうか」と言ったあと、思わず泣いてしまった。体と心の不調を、自分一人の問題と思い、それまでは家族に
も友人にも言えなかったのだ。そんな私につられてしまったのだろう、コーチも涙ぐみ、「一緒にがんばりましょう」と言ってもらえたことは、十年たった今でも忘れることが出来ない。
 入会して半年ほど真面目に通った。体重には劇的な変化はなかったが、体が引き締まったのか諦めていた服が着れるようになった。支えを求めて床を這うこともなくなり、寝返りの時の体の痛みもいつのまにか消えていた。最終的に五十肩を放置していたために固まってしまっていた腕を真直ぐ上に伸ばせるようになるのに、三年かかった。
 しかしながら、子ども達が結婚して孫が生まれると、私は忙しくなった。そして縫い物や編み物が好きだったので、孫たちの服や入園入学のバッグを作っているうちに、手作りの作品をお店で売ることを始めた。父の形見だった碁盤と碁石で、囲碁も習い始めた。もちろん孫たちと遊ぶのも楽しいし、友人や家族との旅行も楽しい。勝手なものだ、この楽しい日々は『カーブス』で取り戻した健康のおかげなのだということを忘れてしまった。それで、月に数度、肩凝りになると『カーブス』に行くという不真面目な会員となった。それでも『カーブス』をやめなかったのは、『カーブス』の筋肉トレーニングで体調がよくなったということを、身をもって知ったからだ。
 不真面目な会員として『カーブス』に在籍すること九年目となった昨年の春、孫とボール遊びをしていて転んでしまい、背中を痛めた。長引く背中の痛みと不自由な生活の中、父が六十一歳で兄が六十二歳で逝ったことと、毎年のように届く同年代のいとこ達の訃報が、「次は私かも知れない」と、その時ちょうど六十三歳だった私の心を蝕むようになった。
 『カーブス』に入会する十年前に私の心と体に起きたことが、再び起きた。顔を洗って服を着替えて外出するのが億劫という日々になった。そしてあっというまに五キロ太った。前回はゆっくりと起きた心と体の不調が、今回はとても早く表れた。
 その間にも、カーブスからのお誘いの電話はあった。初めは「元気になれば行きます」と答えていたが、そのうちに家族以外に名前がディスプレイに表示された電話に出るのが面倒になっていた。
 そして、昨年の十一月、私は無事に六十四歳の誕生日を迎えた。父が、六十一歳で兄が六十二歳で逝ったことで、「次は、私だ」という思い込みから、やっと解き放たれた。そんな時、「その電話は出なくてもいい」と言っていたのに、夫が『カーブス』からの電話をとった。耳に入ってくる夫とカーブスのコーチとの会話が、まるで心に染み入るような気がした。「心身の不調で苦しみ辛い思いをしているのは、自分一人だと思っていた。でも、気にかけて心配してくれている人がいるのだ。そうだ、再び元気を取り戻そう、この状況から抜け出すのだ。私には、顔を洗って服を着て家から出て行かなければならない、『カーブス』という場所がある。」
 しかしながら気持ちだけはやっと前向きになったものの、落ちた体力と太った体は、そんなに簡単にはもとには戻らない。元気なころは速足だと十分で行けたカーブスの建物に、夫の運転する車に頼りきった生活をしていた私は、歩いても歩いてもつかない感じがした。『カーブス』の二階へと上がる階段も、両膝が痛くて手すりにしがみつくしかなった。受付を済ませて靴を脱ぎ準備するのにも、もたもたと信じられないほどの時間がかかった。もちろん、サーキットを二周こなすことなど出来ない。それでも私には、『カーブス』で元気になったという十年前の記憶がある。真面目ではなかったけれど、十年間『カーブス』の会員であり続けたいという想いがある。しばらくは行ける時に行くくらいに気持ちで『カーブス』に行こう、それでも、私は、絶対によい方向に変わるはずだ。
 年も明けて日差しに春の気配が感じ始められた日に、「体の動きがよくなってきましたね」と、コーチに声をかけられた。夫にも「顔に明るい表情が戻ってきた」と言われたところだった。嬉しかった。

 私は、この十年で二度、年齢の節目から来る体調不良と鬱状態を経験した。しかしながら、これから年を重ねるほどに、このサイクルは短くなるだろうと思われる。そして年を重ねるほどに、「元気になる日を待とう」と家に籠っているうちに気がつけば近所のスーパーにまで歩くのも辛い状態になるのは、あっという短さだ。
 私達の年代になると、『カーブス』での筋肉トレーニングはダイエットなどの目先の効果を考えてするものではないと思う。老いていくしかないこれからの人生を、それでも自分はどのように生きていくかを考える時の、よりどころとなるものだ。