カーブスから帰るとまず一言「ただいま、ばあちゃん、行ってきました」仏壇に声をかけるようにしています。この声かけが開始されてから、一年目になります。
近所のuさんから声をかけられて、体験にいきました。トレーナさんからの説明に納得しながら、筋肉の大切なこと、栄養面のこと、親切に、マシンの操作など丁寧に教えてもらいました。汗をかきながら、軽い金槌で頭を叩かれた衝撃を受けました。週に三回ほど、トレーナさんの大きな声に安心感を覚え、私自身にも少しずつではありますが、笑うという文字が得られるようになりました。近所でコーヒを飲んでいるような、心の拠り所になっています。

私の性格、人との対話が下手、マイナス面ばかりを考えている私です。多少は、プラス思考がないものか思っています。この姿は何年前かの私です。介護の二文字につぶされていった、私でした。父に対してのやさしさも、おもいやりも、段々なくなっていき、糖尿病をかかえながらの入院生活、スーパでのおしめを買う、病院の通院のつきそい、食事の面などのケア、インシュリンの注射などが、私の肩にのし掛かり、ケアマネージャさんへ相談すること数回「なにもそんなに責任をとらないでいいのよ。施設への入所させることもあるのだから」と言ってもらい、胸をなでおろした一時でした。私の体調不良もあり入所させていただきました。数年の入所後、父の死をみとりました。私もメニエール・軽い脳梗塞などをかかえての生活が続きました。「ゆっくり時間をかけて治療すれば完治しますから、まず体力をつけましょう」と主治医の先生が言ってくださいました。
私が最初に始めましたのが一日三十分位のウォーキングです。近くの道路から、みえる男体山にみまもられながらがんばっていました。
父の死・母の死・孫の誕生、交互にくりかえし、生活してきました。心の中にポカンとあいた、大きな穴をうめるのは大変でした。お腹がへるのは食べれば一杯になりますが、この穴だけは、うまりません。自分の事を考えるのに、大切な時だったのでしょう。弱った体と神経を強くしていかなくてはいけない、私の役割を保留のままに、数年がすぎ去りました。ふと、市の広報紙が目にはいりました。市主催の体操教室の応募コーナが、目にはいりました。軽いストレッチ・室内のウォーキングなど、寒い時だったので体があたたまり、人との会話などから心がホッコリするのを覚えました。

私も、前向きに生活しょうと、魂の雄叫びがでてきたのです。偶然にも、新聞のチラシにカーブスがはいっていました。「まだカーブス頑張っていたんだ、体力つけるのは、ここしかないのかも。強い運動ではないから、続けるという意味では私にあっているのかな。」
マイナス思考の強い私を押してくれたのは、主人でした。「行けばいいんじゃないの」二カ月位押し問答していました。前の家からの誘いもあり、カーブスに入会しました。今までの生活を無駄にすることなく、筋力トレーニングに通っていくつもりです。
トレーナさんの大きな声、こんにちはの挨拶、カーブスの仲間達の「おつかれさま」。掛声に元気と活力をもらいました。そして一番には、前向きにさせてくれた事に、ありがとう。私の便秘と肩こり・腰痛をなおしてくれた筋力トレーニングに、ありがとう。本当にありがとう。五文字では、かききれませんが、生かされていく私にもありがとう。