カーブスに入会して 4年6カ月。独身時代より準公務員として勤めて20年経た時、姑が亡くなりそれ以後少々の田畑の仕事と家事をしながら、日常の生活をこなしていました。その頃から、階段を昇る時股関節が痛くなりましたが、時間が経つと痛みが無くなり、通常の生活を送る事ができた。
身体を少し休めたいと思い、30年余り勤続の勤務を退職し、少々の田畑の仕事と家事とパート勤務をしながら家の新築。その後、長男の結婚に伴い少々の田畑の仕事と家事と孫守。その頃より急速に股関節の痛みが激しくなり、歩くと鉛を引っ張っている様に重く、機械の油が切れた時の様に歩く度に股関節がギーギーと悲鳴をあげる。和式トイレには座れない。階段には昇れない。足の爪は切れない。右足と左足の長さが3センチ違う。夜痛くて眠れない。とにかく歩く事が苦痛になり、病院で診察してもらうと「癌に例えると末期だからすぐ手術しなさい。」と手術日を決めてくださった。
平成16年11月30日 左変形性股関節症により手術をした。手術後はリハビリに専念。病院の広い廊下を、朝・昼・晩と弛まなく歩くことに努力をしましたが、40日の入院の後、退院しても地面の上を歩く事がスムースにいかず、健康な時の有り難さを思い知った。2年位自主努力をしましたが、思う様にいかず、友達にプールを勧められた時は藁をもすがる想いで通い始めるうち、歩く事に負担を感じなくなっていた。
足の長さの違いから背骨に変形を生じ腰の痛みはとれなかった。朝起きる時痛みがあって次の姿勢になるまで時間がかかった。誰にも解からない痛みである。
人生80年と言われていたその頃63歳まだ20年生きなければならない。この状態での生活では耐えられない!又方々の整形外科を訪ねた。しかし答えは同じ。背骨自体が変形しているので手術は出来ない。「腰の周りに筋肉をつけて腰を保護する事ですね。」との言葉に、どんな事をすれば筋肉がつくのだろうか?と 主人と腰痛体操の出来る所を何箇所か渡り歩いた。
そんな矢先「膝・肩・腰の痛い方。女性だけの油圧式マシンによる30分コース。都合の良い時間に。との広告を見て、自宅に近いこともあり自分の条件にピッタリ!カーブスの門をたたきました。
始めのうちは腹圧もままならず、全てが苦痛を伴いましたが、コーチの方から年齢を重ねるとエネルギーの消費が少なくなり体温が下がる。すると免疫力が落ちて病気に罹り易くなる。悪循環の繰り返し。だから筋肉をつけて健康で長生きして楽しみましょう。と名前で優しく声をかけて励まされながらも、週に1回~2回通うのがせいぜい。
そのうちまず腹圧が出来るようになり、腹圧が出来た時は背中が真っ直ぐに成った気がし腰が痛くなかった。まず腹圧。腹圧が出来るようになってからはマシン操作も序々に出来るようになり汗も出るようになった。私にとってカーブスは切り離せなくなりました。
足は痛く無い。腰は痛く無い。目の前が明るくなり「生涯現役」を考えるようになり一般人高校生になりました。2年間の高校生活をおくり、その中での同級生と花を求めて花壇巡り。トレッキング。山登り。青い空と美味しい空気。汗を掻き筋肉トレーニング。気持ちが若返りました。そして家の田畑の一部を花壇にし、朝に夕に花と触れ合い花の世界を知る事が出来楽しい日々をすごしました。
そして今年、1歳でも若い時にと左変形性外反母趾の手術をしましたが、親指の外反母趾に加え人指し指が脱臼していて、骨が脆くなっていたこともあり意外に日数がかかり、 又股関節を手術した時と同じ様に 腰が痛い状態になった。このままだと寝たきりになってしまう。危機感を感じ退院後1カ月を経った頃よりカーブスに通い始めた。コーチの方に「無理をしないで出来る事からしましょう」と気にかけて優しくアドバイスを頂き 序々にマシン操作をこなす事が出来てきました。
股関節を手術した時から年数が経ち、シニアにはなりましたが、あの時を思い出し又「足は痛く無い。腰は痛く無い。」と元気に趣味現役になれる日が来る事を信じてカーブスに通い、健康寿命を延ばし「ピンピンころり」を目標にこれからの人生を過ごしたい。