二〇〇六年四月九日、五十八歳になる二ヶ月前に私はクモ膜下出血で突然たおれました。一週以上続いた頭痛のため、ちょうど病院に来ていた時でしたが、その病院には脳外科がなかったので、救急車で別の病院に運ばれました。車中で意識不明、心肺停止になった様です。カテーテル手術を受け幸い命拾いしました。
三ヶ月の入院と言語、作業、理学療法によるリハビリ、その後一年間の通院リハビリを乗り越えられたのは、家族の支えのおかげと感謝しています。
出血の後遺症により左目の中心が見えず、手足に不自由を感じ、会話がうまくできません。話すことはむずかしいけれど、「書いて何かを伝えたい。」と思い、たどたどしい字ですが応募しました。と言うより、この気持ちを誰かに知ってもらいたい。「カーブに通って、こんなに前向きになったよ!」と伝えたかったからです。今、こうして書いている時も、肩から手首まで疲れて字がすべります。
私はもともと体を動かす事が好きで、仕事をしながらも時間をみつけて、いろいろなスポーツをやっていましたが、こうなると気おくれして人前に出る気がしなくなりました。
そんな時、すぐ近くのスーパーの二階にカーブスが出来た事を知りました。時間指定がなく、「女性だけの三十分筋トレ」という旗が目に入ります。見学に行ってみたいのですが、自分のような体の者もできるのか、やはり不安でした。そんな折、買い物に行ったお店の前で偶然知り合いにお会いして話すうち、彼女がカーブに通っているようなので、どんな風か聞いてみました。後日、その方がわざわざ、お試しの案内書を届けて下さいました。以前から、外に出る事を勧めていた家族は大賛成でしたので、私はそれを持って勇気を出して行ってみました。
バランス感覚がにぶい私に、コーチは親切にマシーンの使い方を説明してくれました。
私の不自由さには気付かないフリ(だと思います)をしてくれました。マシーンは上半身と下半身を別にきたえます。腰かけて、動かすので、これなら私にもできるかも知れないと感じました。
もう少し筋肉がつけば、できる事が増えるのではないか。そう考えて入会しました。
通いはじめて二回目、三回目を表わすリストバンドをつけているとそれを見つけてコーチがアドバイスをしてくれます。私は質問しながら、体のどの部分を使っているのか、どの筋肉をきたえるのか意識して動かす努力をしました。カーブス入会から五年目に入ります。途中でやめようかと思った事も何度かあります。でも、今まで続けて来れたのは、カーブスに通って自分が前進し、ストレスも発散されている事に気づいたからです。
今では、カーブスに行ける日の予定を立て計画的に行動しています。
一日の目標をクリアできた時は、達成感でいっぱいです。運動して汗をかいて、カーブスでプロテインを飲めた日は最高です。毎日は通えませんが、今週は二回行けた事がとてもうれしく感じます。
受け付けでコーチから「悦子さん、頑張ってますね!」と声をかけられると「はい!」と笑顔になる自分がわかります。
最近では、友達と海外旅行にも行けます。体力がついたのです。迷惑をかけるのではないかと気おくれしていた自分、過去の人です。今の自分を大切にしよう。歳を重ねる分だけ、おとろえ支障がでてくるのが人間だけど、できる事をやって、自分らしく自分をほめてあげられる気持ちをもとう。と思います。どうです?随分前向きな考えを持つ私になったと思いませんか?