長年の立ち仕事で下半身は人一倍強いと思っていた私だが、五年程前から膝の痛みを感じる様になった。又最寄りの駅の階段四十二段の最後の五、六段の所で足がもち上がらなくなって来た。そんな折、仕事先のオーナーが二ヶ月前から娘さんに背中を押されカーブスに通っているが調子が良いみたい、と、私にもカーブスをすすめてくれた。私ももう六十才後半だが、今なら間に合うだろう。仕事先の近く(大般)のカーブスに見学に行った。
  大般の駅から少し歩く場所にあるカーブスでは、元来なまけ者の私には無理かな?と思ったが、大般のコーチが、仕事帰りに寄れる藤沢のカーブスを紹介してくれた。先ず藤沢のカーブスで体験をさせてもらった。初日コーチがついて機械を案内して下さったがビックリ!!コーチの元気の良い事。私の娘、いや孫といっても良い年代の若い人が、私の様な年寄りの士気を高めてくれる。久々に忘れていたノリの良い(確か初日はエルビスプレスリーの曲)音楽に体を動かし、すっかり若返った自分にもビックリ!!仕事帰りに寄る為いつも午後一の三時。自然にその時間帯にあうお仲間が出来て言葉を交わす様になった。
いつしか「三時のあなた」の仲間となった。何より嬉しいのは仕事帰りにカーブスに寄る楽しみが出来た事である。一年位すると膝の痛みも忘れ駅の階段も昇れていた。確かに身体に変化が現れて来たのであろう。しかし、不覚にも二年程前自宅の階段をふみ外し腰の骨を骨折した。整形外科に通い乍ら痛み止めの座薬や飲み薬を頼りに何とか仕事もカーブスも続けていたか、いよいよ医師から手術を勧められた。背骨にそって金具を二本入れ転んだ際につぶれてしまった所をうめる、というかなり大がかりな手術の様である。腰の手術の経験者などから聞く所によると、結果オーライばかりではないようだ。迷っている私に三時のあなたの仲間達がいろいろ智恵を集め力づけてくれた。私は思いきって手術をうける事にした。
  病院のベッドがあくまで三週間位医師から許しをもらい、痛み止めを使い乍らカーブスに通った。手術は無事終えた。五十日の入院生活の間カーブスの仲間が近況報告や頑張れ!とメールや手紙で励ましてくれた。皆が「待っているよ。」と声をかけてくれたので私としても手術後の痛みに甘えてはいられない。
こんなに皆が応援してくれるのだからと自然とリハビリも頑張れた。お陰で退院の時担当の医師から「あなたは首席で退院ですよ。」と云われ、猿年の私としては、おだてられ木の上まで昇ってしまった。手術後一年、すっかり元に戻り七十二才の私は細々乍ら仕事にも復帰できた。退院後一ヶ月検診でまだ術後の痛みもあったが、医師からカーブスも続けて良いと御墨付をもらった。とにかくこれからは筋肉をつける事と医師から云われた。勿論コーチ達も四ヶ月も休んでいた私に術後の経果にあわせ機械の指導や細かい心づかいをしてくれた。何の不案もなく通う事ができた。今こうしてカーブスにも行ける様になった私があるのは、カーブスの仲間、カーブスのコーチ達又仕事先のオーナーや沢山の人の励ましである。人間は一人では生きられない。又カーブスの仲間はほぼ同年代の人が多い。皆人生を重ねてくるまで、沢山の経験をのりこえて来た人達である。介護経験の事、夫の病気克服の事など誰かが悩めば経験者の智恵を借りる。
  私にとってカーブスは正に蘇りの原動力になった。つくづく思う。カーブスに通える事は幸な事だと。自分が元気で、まわりの家族もそこそこ元気であるから通えるのだと。カーブスで毎日の計測でコーチから励まされ少しずつ体力的筋肉もついて来た。そして同時に心の筋肉もしっかり根づいて来た。いつの間にか七十を過ぎてしまったがまだまだ人生これから!!カーブスと出逢えてよかった。