私は若い頃より運動が好きで色々なスポーツにチャレンジして来ました。ママさんバレー・卓球・ソフトボール・ゴルフ。でも年を重ね1つずつ減って行き、ゴルフだけ残りました。ゴルフは片方打ちの為バランスが悪くやっぱりだめ、でも何かして見たい、そんな時グランドコルフに出会い今も続けていますが、何かむなしい体の老いを感じていた時、川崎でカーブスに入会していた娘にカーブスに通って見たらと紹介されて、高崎中居のカーブスに見学に行きました。店長さんが「少し遠いですね。来年3月はなみずき店が開店しますよ」と聞き、待った日の長かった事。
 開店と同時に入会しました。2008年3月の事です。私も74才に成っていました。先生方のやさしい指導のもと、毎日楽しみですが、週3に決めて通いました。楽しさがわかって来た矢先に交通事故にあってしまい、入院を余儀なくされ、カーブスもお休みしなくてはなりません。
 そんなある日のカーブスの先生全員でお見舞いに来て下さいまして、早く良く成って下さいね、と寄せ書きを下さいました。「1日も早くカーブスに顔を見せて下さい。一同で待っています。」涙の出る程うれしい一言です。きついリハビリも一生懸命頑張れました。ベッドに入り寄せ書きを抱いて渡した事もありました。何日かした時、リハビリに行きましたら、先生から「随分回復が早いけど何か運動してましたか?」と聞かれ、思わず「してましたよ。カーブスで30分フィットネスを1年余り」と答えました。先生もやっぱりと云う顔でした。
 リハビリも終り退院して、やっとカーブスに通える様に成り先生指導の元、見る見る回復して来ました。それから5年後の2014年夏、私の不注意で階段より滑り落ち大変な事に成って右足が45°も右へ曲がってしまい、私もびっくりして元にもどし一緒にカーブスに通っているお友達にお願いして、救急車を呼んで頂き近くの病院に入りましたが手術が出来ず、4日目遠くの病院桐生整形外科と云う所に転院しました。足首はぐざぐざで大手術です。骨盤より骨を取りボルトで押さえ、型を整えてギブスで固定し自由のきかない身体に成りました。
 早く良くなりたい一心で人一倍リハビリにはげみました。そんな時主治医の先生とリハビリの先生の言葉「随分回復が早いね。ギブスが取れるよ。運動していたね。多分。」と仰っていました。その一言が、「一生懸命カーブスに通った成果なんだ」と独り言の様に口にし、うれしさがこみ上げて来ました。ギブスが取れたらこれからが大変、ヒザ迄の補足のギブスをはいて、毎日毎日廊下での歩く練習。どんなに苦しかった事か、ここで頑張らないと退院は出来ない、一日一日カーブスに通える日を数えながら...
 友人より1週間早く靴も脱げました。ああ良かったこれで退院出来る。実は主人が救急車で病院へ入院していまして、私も気が気ではありません。先生は1週間位最後のリハビリが有ると云われましたが、聞く耳をもたず「退院します」で通しました。
私の足を人一倍心配してくれた主人です。娘が2年間住む人と私の世話をして両方の病院を行ったり来たりして高崎で生活して、私の所へも3日に1度通ってくれ片道2時間位の道のりですが大変だったと思います。感謝で一杯です。
退院も出来少しずつカーブスで運動したい思いで、週3は行けませんが行ける様に成り先生方の指導でずい分良く成りまして丁度1年半も過ぎましたが少しずつリハビリに通っています。2度もこんな怪我をしましたがカーブスに通っていて本当に良かったと有り難さが身に沁みました。
 これからも歩け、車の運転が出来る限りカーブスでお世話に成ります。心配しておりました主人も、私を気づかいながら去年6月16日81才で天国に旅立ちました。主人の分迄元気に成って生活したいと思っています。先生方には色々御迷惑をおかけする事もあるかと思いますが、これから新しい気持ちでカーブスに通います。
 長く運動を続けひざの痛みも無くなり、毎日の計測も楽しみです。体年齢も10才若かったのですが主人も居なく成りのんびりしていたら、今75才まであがってしまいました。が、又頑張って1才でも若くしたいと思っています。
 先生方宜敷く御指導下さいます様、お願いいたします。有難度うございました