カーブスのストレッチをする場所に、応募シートが、つりさげられていました。
私は 迷うことなく 一枚取り 受付のコーチに言いました。「コーチ、私これ書いてみたいんです。私のような がん患者が、カーブスをやれるということを、みんなに、知らせたいんですよ」と言うと、「それはすごいですね。たまえさん、がんばって書いて下さい。書いたら、読ませて下さいね。」とのこと。私は、自分が今、がん患者でありながら、コーチのおかげで、楽しく、元気にカーブスに通うことができている。みんなに知ってもらいたい。がん患者でも、筋トレができるということを。そして、大腸がんから肺に転移して、抗がん剤治療で髪の毛もぬけおち、外を歩くことさえままならなかった私が、今こうしてカーブスで筋トレしていると、私自身に教えてあげたい。生きていけるんだということを。
 今から10年前の11月、東海大学八王子病院の消化器外科の先生に「大腸がんステージ2です」と告知され、入院、手術し、必死にリハビリをして、学校に復帰しました。待っていてくれていた子ども達との日々は、楽しく、この幸せは、続くものだの思っていたやさき、それは大腸がんの手術から、1年半後、一番恐れていた肺への転移でした。主治医は、静かに告げました。「肺への転移です。ステージ4、5年生存率20%です」有無を言わさず、抗がん剤の治療が始まりました。全てのものを吐いても、まだまだ続く吐き気。髪の毛は、見るも無ざんに抜け落ち、ふっくらしていた体は、やせ細り、歩くのも むずかしくあんなに元気だった私は、いなくなりました。泣いている暇もなく、リハビリをし、がんばりましたが、学校は辞めました。子どもに、申し訳ないと思ったのです。いつか、元気になったら、もどってくるから。
その約束は、夢のようなものでした。
それでも、私は 生きぬきました。ちょうど大腸がんになって、10年目。私は、カーブスの戸をたたきました。「がん患者でも、カーブスには入れますか」「ゆっくり話を、聞かせて下さい」そのYコーチは、優しく、おだやかに、私の話を聞いてくれました。「たまえさんのペースで、ゆっくりやれば、いいんですよ」「だいじょうぶです。そばについて、教えますから」
その日から、私のカーブス通いが始まりました。週3回。行くたびに、Yコーチは、待っていてくれました。「ゆっくり、ゆっくり、でいいですから」と、一から教えてくれました。イチ、ニィ、サン、シと数をかぞえ、肩をささえ、マシンをやってみせてくれ、私に教え、できればほめてくれ、体調を毎日気づかってくれました。私は楽しく、運動ができるなんて、思ってもみませんでした。がん患者であることさえ、忘れられるひとときなのです。
なぜ、カーブスへ通うことが、楽しいのか。
それは、自分のことを気づかってくれるコーチがいるからなのです。休めば、体調が悪くなったのかと、気づかってくれます。
一人で、やれば、無理をして、がんばりすぎてしまうかもしれません。コーチがいるからこそ、続けられるのです。今年4月から私は、又、学校へ 勤めます。週2回の勤務ですが、あんなに、好きだった、学校へもどるのです。これも、カーブスで、筋トレしている、おかげです。私は、カーブスへ入って変わりました。これも、それも、コーチのおかげなのです。運動なんて、がん患者は、できないと思っていました。でも、今、私はやっています。そして、生きています。
カーブスのコーチのおかげなのです。ありがとうございます。