あのように、満開の桜がこれ見よと誇らしげに天をつくのに、どうして一抹の淋しさを感じてしまうのだろう、薄いもも色の花ビラは、ひしめきあっているけれど、それ以上の濃いピンクにはなれないから・・
四月三日、月遅れの女の子の節句、家の中には、娘のおひなさま。桃や桜の花が、大きな、長い首の花瓶に、農家の方に届けていただいた、菜の花やその他、沢山の花と一緒に飾られていた。その日は、娘の、短大の入学式の日でもあり、家でのお祝いは、夕ごはんの時にということで、「気をつけて行くんだぞ」「早く帰っていらっしゃいね」の、主人と私の言葉に、赤いブレザーへ娘は笑いながら手を振って、「ハーイ、じゃあね」と路地を回ったけれど、あのようにかわいがられた娘は、この日から、父の無い子になった。
まさに、晴天の霹靂とはこのことをいうのだろう。元気に、仕事へ出かけた主人が、得意先から帰路に着く、3時40分に、フラッと倒れ、あわてたそばの人が、病院へ運んでくれた時には、事切れていたという。それでも、病院では、一時間以上も手をつくしてくれたが、二度と目覚めることはなかった。急性心不全だった。主人と私、四十九才、そして、結婚して二十五年目の別れであった。泣いた。健康診断が終ったばかりで、異状なしの結果だったのに・・・どうして、どうしての繰り返しばかりで、通夜の晩、かけつけてくれた親友が、私をぎゅっと抱いていてくれた。
東秩父へ、山桜を見に行く約束も、心ばかりのケーキも、実家から届いたお赤飯や鯛もどれも悲しかった。それ以上に、友達と、楽しく過した娘が、キャァーと泣き叫び、いやだいやいやだといいつづけた。男の子二人のあとの女の子で、父親に特にかわいがられていたので、二、三日は食事もとれず、みんなを心配させた。あたふたと葬儀が済み、四十九日を終え、そろそろ又、元の生活に戻った。ただ、朝、毎日のように作っていた主人のお弁当、お茶のポット、汗の為の下着と、2枚のタオル、そしてタバコを用意することがなくなった。娘は、辞めて働くと言うのを、せっかく入学したのだからと、二人の兄の説得で、二年間通学し、水泳とスキーのインストラクターになった。二人の男の子は、それでも私のげっそりした姿を見るごとに、「しょうがない親父だなあ」などといっては笑っていた。私を元気づけるように笑ってはいたが、こっそりお墓の父と、タバコをすっていたのだろう、いつかお墓の線香立てに吸いガラが入っていて、そういえば、泣き虫だった長男が、お墓に来て、そっと父親と何を話したかと思うとせつなかった。
時が過ち 忙しく生活の為に働き 子供達も家庭を持ち、私の元から出て行くと、アレッこの沈んだ気分は何?このしめつけるような胸のチクチクは何?という現状が出て来た。元来、私は元気で、わりと物おじしない性格のはずであった。体も丈夫で、主人亡き後始めた大正琴も楽しかった。孫も二人産まれていた。昼間はいい。夜一人になると、いろいろな事が思い出され、琴を弾きながら、弦の上にポタポタと涙が落ちた。話す人がいない、テレビがある、いや違う、あったかい話がしたい。もっと自分に、気を紛らわす何かはないか、今の元気なうちに、もっと何かをやりたい、そう思うと、もんもんと、自分で自分自身を、まるで鬱のように思ってしまっていた。これ絶対に鬱の前兆だ、誰とも話ができない、いや挨拶さへわずらわしい、ようするに面倒くさい。私はどこへいってしまったのだ。落ち込むこと嫌いな私が、自信のなさがひしひしと身に浸みるようになった。
近くのショッピングデパートの一角に、カーブスの開店を知って 十カ月後に会員になった。筋トレ?30分?女性だけ?若返り?キャッチフレーズは、どれをとっても耳新らしくて、さっそくトレーニング開始。
もう七年を過ぎました。スタッフ・コーチの方達とも、どのくらいの会う、別れをくり返したでしょう。入会当時の初代店長のSさんはちょっぴり美人の結婚十年目の方でした。十年過ぎたのに子供が居なくってというのが悩みだとか。入会の時のカウンセリングでいろいろな事を話し、聞いてくれた。ちょっとふさぎこみなのよというと、体も元気だし運動は大好きというと、たか子さん、心も元気になりましょうと元気づけられた。長い髪の毛を束ねているので、「フラをやっているの」ときくと、「フラはフラでも、フラメンコです」という。素晴しい!そんなこんなで楽しい会話のその夜は気持良く寝られた。
ある日、Mコーチのフラメンコの発表会に出かけた。いつもの彼女とは違う、のびやかに素敵な美しい踊りであった。背はあまり高い方ではないが、舞台上の彼女は、背スジの素敵にきれいなダンサ-になっていた。次の日からのカーブスでの楽しかったこと!私の大正琴の発表会にも来て下さって、コーチ三人からのきれいなブ-ケをいただいた。入会三ヶ月後に、カーブスプリンセスという計測の結果を競う発表では、体年令・体脂肪・骨格筋率が一番という事で写真を張って下さった。そんな毎月の計測が、自然と私に自信を持たせてくれた。
うれしいことにその半年後、Mコーチは、念願の子宝に恵まれて辞められた。今では元気な男の子のママのはずです。
コーチのみなさんも出会いと別れが沢山ありました。Tさんはヘルニアの持病があるみたいですが、いつもやさしい。一様にカーブスのコーチの方は、よく訓練されていて、そりゃあ人間だもの、時として、いやな会員からの言葉を受けたりもするでしょうけど、みな一様にやさしくしっかりとした受け答えをしてくれます。多分、私が一番嫌な意見とか、質問とかを意見箱に書いて入れていると思います、それに対しても、きちんと答えを下さり、マシーンの操作のこととか、わからないことはすぐ書く、そういったわけで、たか子さんは、多分、ここカーブス熊谷ではケムッたい存在と思います。ありがたい事に続けていた大正琴では、教授の資格が取れました。その当時も、休む事なく、カーブスを続けながら、試験を受けるというと、心から心配して下さり見事合格の報に、涙を流して喜んで下さったTコーチ、ありがとうございました。ふさぎこんでいた私ですが、今では嘘みたい、毎日が楽しい、みなさんに会うのが、いやコーチの笑顔に会うのが、心の中に財産を育てて下さったのはコーチの方達です。私の娘程の年齢なのに、スクワットはもちろん、沢山のことを教えていただきました。
体が変われば心が変わる。心が変われば毎日が変わる。毎日が変われば人生又楽し。私がオニコーチと呼ぶYコーチ、その厳しくもやさしいコーチのおかげで、苦手なマシーンも楽になりました。Mコーチも、静かなTコーチも、これからもよろしく。私の素敵な先生であり、娘とも思っていますので。