ドアを開けると溢れる熱気が明るい室内いっぱいに満ちる音楽とリズムに乗って寄せる。
「コンニチワ照美さん。良かった。今日は頑張って来られましたね。本当に良かった。」
「そうなの。私も、どうやらカーブス依存症になっちゃったみたいなのよ。」
「やった!スゴイぞっ!!」と、満面の笑顔で迎えてくれるインストラクターはそれでも差程に驚かない。カーブス依存症を自負するメンバーは多々いらっしゃる。しかもそう言う人々は日数も密に通い、立派な筋肉と引き締まった体を持っている。だから、私のように忘れた頃にやって来て脆弱な筋肉で贅肉たぷたぷの体を何とか動かしているオバサンなんて論外なのだ。
それより、以前から自信無く、まるで小学生が先生に名指しされまいと目を合わせないように、インストラクターの指導に「来ないで放っといて」空気を振り撒いていた私が、自ら声を掛けた事に、まずインストラクターは少し驚いたようだ。そして私の、
「だって、この雨の中、真岡から一時間も車飛ばしてカーブスのためだけに来たのよ。終わったら、まあ買い物もあるけど、また真岡まで帰るんだから、スゴイでしょ。」
「うわぁスゴイ!スゴイ!!......でも今、照美さんが事故ったり、倒れちゃったら、みーんな倒れちゃうから無理はしないでね。」
 真岡とは20km近く離れた実家。自宅の宇都宮の認知症の姑、と実家では障害者で認知症の継母。それを10年老々介護してきた父も2年前に転倒し足が不自由になった。三人三重トリプル介護のために私は週の半分以上を真岡に行き来する日々なのだ。当然カーブスも休みがち。すぐに筋力が落ちて前屈みになり、お腹に肉が溜まりすぐに肥りだしてしまう。
「最近は筋肉がちゃんと使えるようになってきたから、カーブスに来ればすぐに締まってくる。続けて来られれば痩せるのにオシイ!」
と常々励ましてくれている彼女は、雨の日ポイントより事故や私の身を案じてくれたのだ。だからこそカーブスの必要性を痛感し、宇都宮に帰れて時間が取れる限り行きたいと渇望。
「カーブス依存症」になっている私だ。
 3年前、脳梗塞とアルツハイマー型認知症で姑が同居して来た。寝たきりではなく徘徊する姑の介護で膝を痛めた私は、一時松葉杖で介護や家事に追われていた。整形外科やカイロテックで何とかその後の杖2本は手放せたが、「自分が動けなくなるのでは?」という危機感に妹の紹介でカーブスに飛び込んだ。
生来未熟児で虚弱体質の上、昔風邪のたびに打たれた筋肉注射の多用で筋肉が硬くなり、細く弱かった私はずーっと完全にインドア派。運動は大の苦手で、最初はカーブスのマシンもとてつもなく重く動かせなかった。機械ごとにどこの筋肉を使うか説明は受けたが、自己流でほとんど腕だけで動けば良しとしていた。腹圧もかけられないのだから当然インストラクターが指導に来るたび下を向いて、来ないで触れないで光線を発するか、まるで逆に、
「ねぇ聞いて!ウチの認知症のバァさんがね。」
「今日は煮物の器の上に焼き魚が泳いでて...。」
と愚痴をこぼしストレス解消で指導を避けた。
それでもサスガ!カーブス!!膝の痛みは割合すぐに治まり、徐々に筋肉も付き自転車で坂道も昇れるようになり、体力もついた。
 ある日犬の散歩をしていたら近所のおばさんに声をかけられた。
「あら、痩せた?」
と聞かれ、自分でも意外で、
「いや体重は少ししか...。」
「そう?!スッキリして元気そう。何かした?」
「あっ!!あっカーブスだ。痩せたってか引き締まったか?筋力もついて姿勢が良くなったから?前は猫背で疲れたような遅いトボトボ歩きだったから...。実際帰りは疲れてたし。」
筋肉は脂肪より重いし実際体重は差して減っていなかったので最初は謙遜したが、私自身が話すうちにカーブスのスゴさ、良さに気付いてつい話に熱が入りつい勧誘もしていた。
「良い所を紹介してもらって良かったわ。」
とおばさんにはとても感謝された。
「私はあまりマジメに通えてないんだけど...。」
と言い訳した位で、そのおばさんが毎日のように頑張って楽しそうに嬉しそうに通っているのを見て、反省し刺激を受けた。そしてキチンと通えばキチンと体に結果として出てくるのだと逆に教えられたのだ。
 その後は、「近寄らないでと無言で俯き、黙々とストイックな振りな空気」を放つのは止め、インストラクターの指導を取り入れ、常に腹圧も気に掛けるようになった。インストラクターの
「ここに力を入れて。ここを伸ばして。ここはリラックスして。」
ピンポイントで具体的かつ的確な指示は本当に体に効果的で、使うべき筋肉が使えるようになった。少し動いただけでドッと汗が吹き出す程で結果に直結。生きる姿勢にまで反映したかも、と自信を持って友人達にカーブスを勧められた。
 この間、足を痛めた実家の父は運動量が極端に減り、糖尿病だから痩せろと言われれば、老人宅らしくご飯や糖分を減らすのではなく肉や魚を食べなかったため、元々老々介護で疲弊していたのも合間って激痩せしてしまい、ロコモティブシンドロームだったが、体調を崩し5日間食べずに寝込んだら全く動けなくなりサルコペニアになってしまった。筋肉の重要性をカーブスで知らされていた私は、プロテインを飲ませたり、肉魚を料理したり、杖を使っても散歩をさせたり、父が寝たきりにならないように努力した。これもカーブスのお陰かも知れない。幸い父は摺り足ながら歩けるようになり、別人のようにゲッソリ痩せていた顔も体も太り筋肉も付き生還した。
 だが昨年末、障害者で認知症の継母がベットから落ち骨折で入院。手が掛かる人だっただけに、ペットロスならぬ老々介護の妻ロスで父が一気に気力を失いヤル気無く腑抜けていたがたった一晩。年越しのため宇都宮に戻り、帰省した息子と供に実家に行くと、たった一晩一人にしただけで認知症に落ち入った。短期記憶が消失する。無気力だけで済まない。出来なくなるのが認知症だ。
ぼーっと座ったきり全然動かなくなってしまった。それでも2週間位は「最近物忘れが激しくて。」とか「照美が居るからツイ頼ってヤル気が無くて。」とか言い訳していたが、たちまち「オレはちゃんとやっている。出来ている。大丈夫」と自覚も無くなってしまった。大丈夫が出たら認知症でダメ。何もやらない。やれない。出来ない。のに自覚無いのだ。丁度妹も2カ月前に乳癌が発見され1カ月後に手術も決っていた。これも認知症の一原因だったのかも知れないが、妹の手術は予定内。父の認知症は想定外。アテが外れ、急ぎ介護認定を受けヘルパーさんとディサービスでつなぎ、私は週の半分以上を実家に泊まり介護し、妹の病院に通い洗濯を廻す。幸い2回の手術は無事に済んで、これから1年半に渡る抗癌剤治療に入った。しかも、私が送迎するはずだった病院だが、妹の夫が妹の治療の日に休みを合わせてくれ、私は補助要員で済む事となった。幸いと言えば私が留守がちなので夫が介護をするようになった。もう4年も音信不通だった継母の実娘が入院を機に見舞い看るようになり二介護二看護にゆとりさえ感じている。
 カーブスのお陰でメゲない。でも気力も体力も落ち猫背で肥りだすとヤバイ、ヤバイ。カーブスが足りてない。依存症だから。と時々カーブス優先が私の生きる糧なのだ。