みち代さあーん、今日は! カーブスの入口を、一歩入れば明るい声が飛んで来る。
七十才をすぎて「みち代さん」と名前で、呼んでもらうのは、幼い頃に戻ったようで楽しくなる。名を呼びあったのは、小学生迄で、中学、高校ともなると性で、働いている間は、もちろん性で、結婚すると、近所の方々とでも「奥さん」で性も、名もなくなるそれなのに、若い明るい元気の良い声で、みち代さんと呼んでくれる。いっぺんに明るく元気が出て来る。「今日は!」と筋トレの輪に入れていただくと、それぞれの笑顔が迎えてくれる。自分の年令を忘れてしまう。
今日はおにぎりにしますか、ハンバーグにしますか・・・・・・とか、やさしく聞いてくれる。「みち代さん 背中まっすぐ、姿勢良くなりましたね」とか「マシン上手に使えていますよ」とか 心が軽くなる言葉掛をいただけ頬がゆるんでくる。
六十代の始めに、脊柱管狭窄症と診断され筋肉を鍛える事しか方法はないと、医師から言われ、ジョギング教室・健康教室等を経て、スーパーの店頭でコーナーの方に、お話をお聞きして、カーブスにお世話になりました。三年半、腰の痛さに、夜眠っていても、目が覚めたり、朝の動き始めの、足腰の痛さもだんだんと改善され、我慢の出来る痛さとなってきました。痛みのある日は、軽めの運動にし、体調の良い時は思いきり汗を流して、皆さんに笑顔やおしゃべりで、楽しいエネルギーをいただいて、ほぼ毎日の様に通わせてもらっています。体形こそ余り変化はないのですが、体年令は 実年令より十才若く、体力年令は四十代です。何より痛みが少なくなった事がうれしいです。
太平洋戦争の始まる前、生めよ殖やせよの時代であったがゆえか、四十四才の両親より生命をいただけたおまけの女が、もうすぐ七十四才になり、「みち代さん」とよばれ、子供達に生活の援助を受け、夫の病院通いの援助を受け、夫と二人で好きな俳句を作り、カーブスに通うことが、私の一日の仕事。この様な幸福な老後を、日々すごす事が出来カーブス生活は命ある限り、元気に通えるよう、健康で楽しい日々を続けたいと思っています。