一九三四年(昭和九年)生れの私は、終戦後二年に出来た新制中学を初めて三年間受けた世代です。当時は三校の小学校が一校の中学校に合併するので、まだ校舎が新築中のため、それぞれの小学校の一教室を間借りしている状態で生徒会議はお互い順番に廻り、スポーツ交流も盛んで、そんな中でスポーツ大好きな少女に育って行きました。
中でも卓球は特にお気に入りで、ソフトボールや、バレーボールも試合にはよく出場していましたが、つき指をしたり、屋外のため日に焼けるのが嫌で、高校では友人と卓球部に入部しました。
高校卒業後も、就職先が幸い各スポーツが盛んで、主として卓球を続け、在職四十二年間と定年後も七十四歳迄の五十八年間卓球を続けられた事は幸せでした。
 二〇〇八年六月に、卓球をやめた友達からカーブスのチラシを見て「一緒に体験に行かないか」と誘われました。丁度その時は卓球を続ける自信を失くし休止していたので、勝敗のない女性ばかりのフィットネスクラブが気に入り、すぐ入会する事を決めました。
今迄長年卓球を続けていても、練習や試合前にアキレス腱を延ばす位のストレッチしか経験してこなかったのが、ワークアウトの後の六分間ストレッチで十九%アップという事も、コーチから教わりストレッチの大切さも認識させられました。
それ以来週三回、月水金とカーブスへ行く事が私の仕事のごとくリズム化し、他の事は火木土曜に予定を組み、日曜は休日と決めていました。
 その当時、特養施設でお世話になっている夫の体調も比較的安定していて、往復百キロ余りの施設へ車で面会に行くのも、それ程苦になりませんでした。
 カーブスの良さが分って来た頃、カーブスに入会した時頂いた「メンバーガイド」にはストレッチのやり方が図解付きで、意識してやる筋肉がすごく分かりやすく、家でも時々実践していました。
それを私の周りで、カーブスに誘っても来られない人のために、ストレッチのやり方を十枚位コンビニでコピーして、なお且つ意識する筋肉の所をカラーペンで強調して、知人や姉妹に配りました。後日「ストレッチなんて初めてやわ」と云ってた人も「何か腰の痛みが楽になり、娘に姿勢が良くなったみたい」と云われた時は、自分の事の様に嬉しかったです。
私がカーブスに入会して四年四カ月が経った、二〇一二年十月二十二日、こうして文字にしてみると、二と十しかないのが何か変な感じです。この日はカーブスの帰りに、隣のスーパーで買物して駐車場へ歩いていた時、近眼で夜に弱い私は、車止めに右足を取られ勢いよく倒れてしまいました。
 長年生きて来て、両手をついて派手にこけたのは初めてです。すぐに起き上がり、スーパーの袋を拾ってそのまま痛さを我慢して、ゆっくり運転して無事に家へ帰りました。
 翌日整形でレントゲン検査の結果は、右足膝骨折ですぐにコルセットを装着され、車の運転は駄目と云われたので、妹に迎えに来てもらいました。カーブスには骨折のため一カ月程休む旨連絡し、仲の良いメンバーさんには心配掛けるので内緒にしていました。
この間、週二~三回電気治療のため通院です。毎回送迎に世話を掛けるのも悪いので、一週間過ぎからは、座席を後ろにずらし、コルセットで棒状の右足で、ペダルとブレーキが踏める様になり、自力で通っていました。
 一ヶ月が経過し、再度レントゲン検査の結果、コルセットが取れ膝が後ろに曲がるのは、先生も私もびっくりでした。
当時七十八歳の私では、一ヶ月間コルセットで固定していたら、普通元に戻るには一~二ヶ月位掛ると云われ、内心嬉しいのと「ひょっとして骨折してなかったかも?」と一方では思ってしまいました。
 でも家で膝のストレッチをすると、右足の膝はかすかに痛みがあり、これが骨折の証しだと変な意味での納得でした。
 骨折から約一ヶ月後の一二月からカーブスに、整形のリハビリと併用して通い始め、初日から全部のマシンがこなせました。コーチには「骨折して一ヶ月余りで復帰出来るなんてスゴイ!」とびっくりされこれも筋力のおかげと感謝です。
 骨折から更に二年間、順調良く週三回のカーブス通いだったのですが、八十歳になった二〇一四年十月、年一回私にとって恒例の胃カメラ検査を受けました。
 結果「ちょっとおかしいので、細胞検査をします」と云われました。その後二回の検査結果は「ステージは一だけどスキルス性胃ガン」と云われびっくり。
 今迄軽い鼻風邪位で、病気に縁遠い私は、「スキルス性胃ガン」に対してまったく知識が皆無でした。
 先生にお聞きしたら「ステージは一だけど転移しやすい厄介なガンです」と説明されました。
 さっそく知人を介して大学病院を紹介され、大学病院では十一月から十二月にかけて、胃放射線、呼吸器内科、胃内視鏡、中央下肢静脈エコー、生理検査、歯科口腔ケアと、更にかかりつけの歯医者で入院前の歯の手入れ方法を徹底的に指導されました。
 当初、手術は来年と云う事でしたが、「年末に個室が空いたので、年内にどうか?」と云われ、どうせ一人暮らしだし病院での寝正月位の軽い気持ちで了承しました。
 結局、十二月二十四日に入院で胃カメラ検査し、二十六日手術となりました。
 大学病院での検査でも、広く浅くガンが広がっていたので、胃は全摘でした。
 私にとってラッキーだったのは、三重県で一番初めに腹腔鏡手術の試験に合格されたベテランのO先生をはじめ、五人の先生方が手術にかかわって下さり、六時間の腹腔鏡手術も無事に終わりました。
 入院生活はのんびり寝正月と思っていたのとは大違いで、腰や肩が凝るわ、傷口が痛むので点滴を増やしてもらえば幻覚がすごくてびっくりでしたが、痛みよりはましでした。
 また、筋力のすごさを知ったのは、病院で術後二日目に、上からも下からも、何本も管がぶらさがった状態で、バリウム検査に自力で立てた事でした。
 一ヶ月の入院で退院し、術後三ヶ月カーブスを休み、四月からいよいよカーブスに復帰です。仲の良いメンバーさん達に久し振りにお会いし、カーブスに帰ってこれて、近代医学と筋力に感謝あるのみです。
 コーチからは「無理しないで一周でも良いから」といわれましたが、三ヶ月のブランクは全然感じず、二周とマシンも全部クリアーでした。しかし、毎月の計測は体重が十キロ減なので自信がなく、来年からする事に了解して戴きました。
 年が明け二〇一六年一月四日に約束通り、一年振りに計測して戴きました。怖々計測した結果は、何んと骨格筋率だけが減ってなくそれ以外は、十キロ減をもろに受けてました。
 人間の体は、筋肉が財産で、健康寿命と云うことばはカーブスで耳にたたきこまれています。
 この七月で八十二才になる私の体験で、私よりずっと若いメンバーさん達に、カーブスを続ける大切さや、効果を再認識して戴くととても嬉しいです。
 これからも、カーブスへ自力で通える最高年齢を目指して頑張りたいと思います。