忘れもしない。去年のあの日、三月十一日の東日本大震災のあった年のことである。何かふみ出さなければ...。前に前に歩くことが大切であるとの思いにかられ、四月九日、カーブスの門を叩いた。体力をつけてもう一度ひとふんばりしようと心から思ったからである。そしてその年、私は還暦をむかえた。

 

 カーブスのドアを開ける時、ドキドキと胸が鳴った。見知らぬ土地で、見知らぬ人たちとの間で楽しく出来るであろうかと、びくびくしながらドアを開けた。この流山の地に来て五年しかたっておらず、少しおくびょうになっていたのも事実である。しかし、明るい雰囲気の中で楽しそうに運動をしている姿や、指導者の人の優しい説明に一抹の不安もあったが、一歩ふみ出してみようと思った。

 

 奈良に住む姉は一足早く、奈良のカーブスに入っていた。姉にすすめたのは私である。女性だけのフィットネスでとてもよいところだよ。友人の一人が鎌ヶ谷のカーブスに入っていて、とても気軽にできて体にもいいよということを教えてあげた。去る十二日に母をなくし、とても落ちこんでいた姉に、気分転換になるよとすすめた。四国に住んでいた母の下へ奈良から毎週のように通い、介護をし続けた姉は、悲しみが深かったのである。

 

 通ううちに、徐々に元気をとりもどしていく姉の姿をみることができたのは、三月のおわりに奈良へ行き、カーブスに見学させてもらった時のことだ。いきいきと体力作りに励んでいる姿をみて、ああよかったと心から思ったのである。奈良のカーブスの人たちは、みんなが声をかけあい、とても楽しそうであった。その後も姉は、楽しくカーブスに行っている。インストラクターの人が大きな声で名前を呼んでくれることがとても気持ちよいそうだ。何回か一緒に運動をしていくうちに、親しい人もできたとのこと。お茶を飲んだりして生活にハリができたよと電話もかかってくる。体重はなかなか減らんなあと嘆きつつも、声ははずんでいる。カーブスの絆だなあと感ずることがしばしばある。カーブスをしている中での共通の話題がたくさんある。いい絆だなあとつくづく思う。

 船橋に住む友人たちも、カーブスに入り、カーブスの絆の仲間入りである。やはり、ここでも名前を呼ばれることが本当にうれしいねという。友人はインストラクターの方に「名前覚えるの大変ですね。どんなふうにして覚えるんですか」と聞いたこともあるそうである。体力測定で自分の実年令より、すごい上だったので、これはがんばるしかないとはりきっている。ちなみに姉は50代の体力年令で、私は年相応かな...。

 

 友人と、姉とくしくも震災のあった年にカーブスをはじめたのはいつまでも思い出すことだろう。時々思う事がある。不思議だなあという事...。ちがう場所で同じことをしているということ。話題も共通のものがたくさんになった。これこそカーブスの絆であろうと思う。
 

 奈良・船橋・鎌ヶ谷・流山。場所はちがえど、太い大きな絆で結ばれていることをつくづく思う。今日もドキドキしながらドアを開ける。はずんだ声にうれしさを感じる。カーブスの絆のもと、これからもがんばっていきたいものだ。

 震災のあった年に入った思い出を胸に。