22年3月25日10:00体力診断を予約して受けました。
それまでにチラシを何度も何度も残しては期日が過ぎ捨てていました。
この体力診断で椅子から一度も立ち上がる(片足)ことが出来ませんでした。
この時すでに膝は膝関節症にかかっていました。水がたまり両膝とも7~8
回は抜いていて一回に30cc位で多い時は60cc(注射器2本分)でした。
それに右手首が腱鞘炎で長いこと痛かったのがあまり長いから血液検査をし
ました。その結果リウマチでした。

名前は知っていましたがこんなに痛いとは知りませんでした。
痛い時は顔が歪みました。だから痛み止め(食後服甲)を飲みたいために
朝は早く起きて食事をして飲みました。

私は両手使えるので右手が使えなくても左手が使えるのでその点は良かった
と思いました。右手はお箸、書く、ハミガキ、包丁、針(以前は左手で
縫っていましたが実父が生きていた頃(明治生まれ)「格好が悪い」とか
「みっともない」と針を持つたびに言われ高校に入学してから右手にしたくらいです。

でも今は左手の中指が調子悪く使いすぎかな?と思っています。

このままだと仕事を辞めないといけないかなと思っていました。
正座が出来ないので膝はL字型になってしまいました。(仕事)
お店の閉店前にはハンガーに掛けている着物(50~60枚)を畳んで帰ります。
次の日朝ハンガーに掛けます。この時も正座が出来ないので立ったまま畳でいました。

階段は片足上がっては揃えて片足上がっては揃えて上りました。
着装で着物を着て腰ひもをしめる時右手首は本当に痛かったです。
一年ほどリウマチの薬を飲みましたがよくならないので昨年から注射をしています。

カーブスに行く少し前からプールで1時間歩いています。
仕事をしているので月に3~6回くらい行っています。2年前は電車の乗換え
で2分しかない場合は諦めて次の電車にして帰っていました。
でもカーブスに行って8ヶ月くらいたった頃には2分あるから走って行った
ら乗る事は出来るようになりました。少しでも早く帰ることができとても
うれしかったです。一回でも多くカーブスに行って筋肉をつけていかないと
いけないと思いました。

同僚も朝一緒の時は「走れるようになったやん」と
言ってびっくりしていました。一日に階段は、自宅、仕事で20回くらいは
上がったり下ったりしていますが現在はどうもありません。

今は帰りの地下鉄の階段は2段ずつ上がっています。下3段は転ぶといけな
いので一段ずつ下りています。
以前は京阪と地下鉄で通勤していました。去年からカーブスが近くにある
地下鉄に変えました。(帰り一週間でもして帰りたいから)
仕事をしていても夕方5時くらいになると今日は行けるかな?行けないか
な?と時計を見ています。

小さい時から運動が嫌いで運動会の前日は「どうか雨が降りますように」と
願ったものでした。プールはお風呂と一緒、バレーボールはサーブが相手の
コートに届かない、走ってはビリでした。
だから私自身こんなに続くとは思っていませんでした。でもこのままずっと
長く続けて行きたいと思っております。

二男(1996年7月24日)の出産後弛緩出血で手遅れの所が助かりました。
27才でした。血圧ゼロと言われていたのをかすかに覚えています。
あー私は死んでいくんだな・・・・・子供2人残して・・・・
どうか後にいい方が来てくれますように・・・・思ったものでした。
「一度死にかけた人は長生きする」と聞きました。
今二度目の人生で35年生きています。

リウマチの痛い痛い人生が続くのかと思うとぞっとします。

でも今は注射とカーブスで元気になってとてもうれしいです。
もう膝はぜんぜん痛くありません。うそみたいです。
私のお休みは水、木曜日です。
でも休みは孫(別居)の幼稚園の送り、お迎え、プール、病院と忙しくしております。

親切でやさしいスタッフに囲まれて毎日でも行きたいといつも思っております。

まだしばらくは仕事の方を続けて行きたいと思っております。

こんなに元気になった私の膝を見て下さい。