私はまだカーブスに入ったばかりだ。今迄の私は毎日歩いているから運動をしている。仕事で沢山歩いているから運動をしていると思っていた。そう、二月の最初の頃迄は。

 
 私の地区にカーブスが出来て彼女は四年前に入った。そしてその良さを話してくれた。その時私は常勤で毎日夕方遅く迄働いていた為、まず時間的に無理だった。又仕事に出かける前に二、三十分程度歩いてから出勤していた為、運動をしていると思っていた。

 

 二年前に、定年を迎えた。職場を変えた。四時間のパートになった。毎日忙しく病棟内を早い足取りで動き回っていた。仕事が終わると実家の両親の元へ行く日々が続いていた。

 

そんな時、二才年上の総師長に

「Oさん運動しなさい。」

と言われた。

「師長さん、私仕事でたくさん歩いているんです。」

と言うと、

「でもそれは運動とは違うのよ。」

 とカーブスの話を聞かされた。

 

 それでも時間に余裕のない私には遠い話に感じられた。仕事と介護と休みの前日には実家へ泊まりでの介護が続いていた。その後、父を見送り、母一人になっても同様の日々が続いていた。

 

 ところが父の死後三ヶ月経った時、母が自宅で転倒し左大腿骨頚部骨折をしてしまった。その十一ヶ月前にも右側を同じ骨折で手術したばかりだった。医師は年二回の全身麻酔の手術は高齢の為、危険を伴うと手術をしない方向になってしまった。母は車イスの生活となり、家では同頑張っても介護出来なくなってしまった。現在は母施設に入っており週ニ、三回会いに行っている。少し時間が出来たが散歩をする気にはなれなかった。


 そんな日々を送っていた時めまいを感じる様になった。一、二週間様子をみていたが治らない為、脳外を受診した。検査の結果医師より、このまま放置しておくと脳梗塞になる恐れありと言われた。

① 運動しなさい。
② 水を飲みなさい。(コーヒー、紅茶等はカフェインが入っている為駄目です。)
③ 痩せなさい。
 

 私は歩く事を再開した。母を残して私が動けなくなると大変という気持ちが強かった。仕事に出かける前に二十分、帰ってきてから四十分。内服薬も処方された為、二ヶ月で正常な値となった。

 ある日、行きつけの美容院でカーブスを始めた話を聞かされた。彼女とはハガキ絵を通じて友達となっていた。仕事がら動かない為、身体に良い事をしようと始めたと話す彼女は少し生き生きしていた。一ヵ月後に行った時にはストレッチを教えてくれた。

 そしてより一層元気になっていた。足もしっかりして筋肉がついて来たと話した。私は暑さに弱い為、夏歩くことに不安を持っていた。暑くなる前にカーブスを考えようかなと話した。二月の上旬に月一回の友人達の食事会の時に、

 

「私もカーブスをしようかな。」

と一年前に始めたもう一人の友達に話した。

 

 すると次の日に電話があり体験の日を決めてと言って来た。そのまま背中を押される様に一日目の体験をし、その日のうちに入る手続きをした。最初から歩くことと違う事がはっきりわかった。両腕、両脇等今迄使う事のなかった筋肉を使っている。マシーンもすぐ使いこなせる物と、そうでない物があった。が、一回ごとに慣れて来た。又一つのマシーンを使用する時間が短い為、何度もしないうちにすぐ交代になってしまうが、かえってそれが筋肉の疲れを残さないようだ。

 ステップボードも足に負担をかけない様になっている。BGMに乗せて軽やかに走る私はいくらでも走れるような気がした。自宅に帰り同じ様に走ってみて重い足取りに嫌でも現実に戻された。


入口を開けるとインストラクターの

「N子さんこんにちは。」

と元気な声で挨拶され、終了しお世話になりましたと言う私に、

「お疲れさまでした。」

と声を掛けてくれる。その一言で心が癒され暖まる。最初は真剣にしていたマシーンも段々に使いこなせ呼吸法もうまく出来て来た。仕事で少し落ち込んだ日にも身体を動かし汗をかくと何もかも吹き飛び気分がスーとする。本当に身も心も上向きになってくる。

 

 さあ明日も仕事頑張るぞ。