暁の頃、新聞配達人の方が、庭先の砂利を踏みしめる音が聞こえる。新聞を取り込み、冬空を見上げると満天の星が輝いている。明け方のお月さまを見るのが好きで満月も良し、三日月が特に優しい。さあ一日の始まりです。洗濯機を回し出し新聞の主な項目だけをさらりと見て家事が一段落ついた時にじっくりと読む。五時半に朝食。主人が定年になり、二人だけの生活となったのでお互い好きな時間に食事を摂る事にしている。世間の奥様方が夫源病になると聞き互いに干渉しない、それぞれ好きな事をしようと話し合いで決めた。それには、冷蔵庫には調理済みのお惣菜がいつも入っていなければならない。畑で採れた野菜五種類程入った味噌汁、卵焼き、煮豆、昨年豆類が豊富に取れたので冷凍して豆類を常備菜としている。チーズとキムチをご飯にのせ食後には黒酢につけたバナナにヨーグルトときな粉をかけて食べる。最後に抹茶を点てて頂き私の朝食タイムが終る。六時二十五分になるとテレビ体操の時間。この体操二十年以上は続いていると思う。一〇分間にラジオ体操第一と第二が一日置きに組まれていてストレッチを兼ねた運動だ。終った後には身体が少しほぐれた感じがする。五十代の頃に頸椎症の手術をしたので疲れると肩こりがひどくなり姿勢が悪くなると身体のバランスが良くない事が判ったので正しい姿勢で日常生活が送れる様に心がけている。買い物に行ってカートを押す時にもカートに身体を預けなくて腰を伸ばし背筋を真っ直ぐにして歩く様にしている。年齢を重ねる毎に体の不調が現われるのでカーブスには週三回のペースを続け、行かない日は自宅でのストレッチを欠かせない。時間は自分次第でどうにでもなる。昨年秋に徳島県へと主人とバス旅行を楽しんだ。鳴門海峡のうず潮を巡り、大歩危のかづら橋を渡った。せっかく来たのだから足元が危険な感じがしたが挑戦してみた。五十年程前に友達とユースホステルを利用して四国一周の旅行をした際にこのかづら橋を渡った記憶があるが、その頃は若い故何んともなく渡ったのだろう。バス旅行も平均年令が七十才には手の届きそうな皆さんの顔ぶれだった。橋を渡ろうとした時に大学生らしきグループが私達の前で橋をわざとゆすってふざけている。私はゆすらないでと大きな声を張り上げながらも無事に渡り終えた。その時どうしても私の気持ちの中で許せない行為だと思ったので、若い人達には未来と希望がある、でも私達の年代になると明日が来るとは限らない、今日一日を楽しんで旅行に来るのだよ、そして地球は皆んなの物だからね、と言ったら判ってくれたのか拍手をしてくれた。バスの集合時間がせまっていたのでその場を離れた。ちなみに主人は恐がりだから渡りませんでした。一日一生この想いを大切に。禅語の中で直心是道(じきしんじきどう)。どんなに苦しい時や逆境にあっても生きる事をあきらめない。主人、娘、自分の病気といろんな事があったけれども、生かされていると思うと我が命の果てる迄、決してあきらめない。この先老化現象がいくつも増える事だろう。先日運転免許証の後期高齢者講習で認知証の検査を受けた。ペーパーテストで九十八点をたたき出した。これもカーブスを続けているおかげで記憶力、集中力がアップしているのだと思う。何もしないで家にとじ込もっていては刺激が無いから良くない。田舎暮らしだから少しでも長く安全に運転出来る様に願っているがこれも先の事は判らないので当てにはならないが。昨今の高齢者による事故が多く人ごととは思えない。自分の技量に適した行動で急がば廻れの気持ちで、通い慣れた道しか通らない事に決めている。足腰の丈夫さと脳の活性化それにはやはり姿勢美人になる事が肝要だ。今年は新型コロナウイルスの発症で世界中が混乱の事態となった。未曽有の出来事でいつ終息するかが判らなく心配の種が尽きない。ウイルスに負けない身体作りが求められる。なかなか難しい課題だが皆んなが痛みを分かち合って乗り越えなければならない。カーブスも一週間の休業がありその間、自宅でのストレッチに励んだ。身体の柔軟性が悪いから毎日の運動を続ける事だ。先日もふとした油断で胸を強く打ってしまった。幸い骨に異常がなくてレーザー治療で一〇日間程の通院で快方に向かった。病院通いでつくづく思うのだが皆さん高齢になると足腰の弱さが目立つ。筋肉の衰えがどうしてもひびいてくる。筋肉をつけると骨も丈夫になるとの事プロテインもしっかり飲んで蛋白質十二点を目指そう。詩吟の稽古に励みお腹から声を出すと腹筋が鍛えられる。読書の楽しみ、本がいろんな世界に連れて行ってくれる。先日読んだ本「文章のみがき方」の中で上手く書こうと思わないで日々の生活の中でふとした感動、視覚、聴覚をフルに活動させて書く事が素直な文章になるとの事。なる程、良い格好をしなくてあるがままの自分に向きあえばと気付かされた。図書館には歩いて行ける距離だからリュックを背負い帰りには少し遠回りをして散歩を兼ねて田んぼ道を帰って来る。
自然の営みの中で何も見えなくても春になれば草花が芽吹き桜満開で元気をくれる。老後の楽しみを持続する為に、自分の足で歩けて、頭の体操も忘れずにして、カーブスに通い続ける事が願いである。