一九六四年、東京オリンピックが行われた時、私は、小学校の四年生だった。「さあ、みんな一本ずつ旗を持って下さい!学校の前の道路に出て、ランナーを待ちます」
私達は、先生から「日の丸」の小旗を渡された。
そして、「八間道路」と呼ばれた道路沿いに座った。
聖火ランナーが、伊豆の方面から、沼津の市役所方面に向かって走って来るのだ。
 しかし、ランナーは、なかなかやっては来なかった。それでも私達は、なんとなく楽しい気分で、聖火ランナーの到着を、今か、今かと待っていた。
 授業を中断して、「八間道路」に陣取っているというのが、みんな楽しかったのだ。
 ランナーが到着すると、私達は、ただひたすらに、無邪気に、日の丸の小旗を振った。
 そして、十月十日、十九歳の最終聖火ランナーは、聖火台を目指して、一直線に階段を駆け登って行った。空は、何処までも澄んで、一点の曇りもなかった。
 あの日見た、真っ青な空が、今でも忘れられない。
 二〇二〇年、再び「東京オリンピック」。二度も自国開催のオリンピックを、自分の目で見ることのできる人間は少ないだろう。オリンピックに出るわけではないけれど、(私って、凄い!なんて幸せなんだろう!)と思っていた。
 ところが、昨日、二〇二〇年三月二十四日、「東京オリンピック一年延期」が発表された。(コロナウイルスめ!)と思う。人生は、ままならない。
 世の中は、全く、予想がつかない。こうなると、信じられるのは、やっぱり、自分だ。そして、やっぱり、「筋肉を鍛えて」何事にも負けずに、逞しく生きることが肝心だ。カーブスに入って以来、平日も週に二回は教室に行こうと決めている。筋トレの日は、「私、定時で帰ります!」の勢いで、五時三十五分にはタイムカードを押し、福生発五時四十三分の東京行きの電車に乗る。曜日も基本的には、火曜日と木曜日に決めている。そして、土曜日のお楽しみは、「筋トレ」プラス「カフェでランチ」だ。

 二〇二〇年の初めに、会社の「会長の長寿を祝う会」が行われた。私の会社は、多角経営をしており、私が働いている日本語学校も、そのうちの一つだ。
 会長は、今年で、なんと、九十六歳になる。しっかりスピーチもするし、ビールも飲む。
 そして、九十六歳になった今でも、毎日ジョギングとプール通いを続けているという「怪物」だ。「長寿を祝う会」では、一人一人、挨拶までさせられる。
「頑張っていることや、趣味を言って下さい!」
 と、幹事から前もって言われた。
 私は、ずっと前から某俳優のファンクラブに入っているし、歌舞伎も大好きで、定期的に観に行く。商業演劇から小劇団の芝居まで、年間、かなりの数の芝居を観ている。
 教員会議の自己紹介で、「芝居好き」を披露したことはあったが、会長の長寿を祝う会で披露するのは、どうも気が進まない。
(今一番の趣味は、筋トレだし・・・)
 私に出番が回って来たら、「筋トレ」のことを披露しようと、心に決めた。
 そして、いよいよ、私の番が回って来た。私は、立ち上がる前に、私のテーブルの上のビールを、グイと一口飲んだ。
「私の趣味は、『筋トレ』です。先月の『筋力チェック』で、三十代後半の筋力と判定されました!」
 ここで、「ウワオゥ!」という歓声が、場内に上がった。
「会長のように、ずっと自分の足で歩けるように、これからも、ずっと、筋トレを続けるつもりです!」
 とまとめて、挨拶を終わりにした。
 席に座って、ホッとして、残りのビールを一気に飲んだ。
 そして、私は思ったのだ。
「筋トレ」という言葉の響きは、とても明るい。そして、それを聞いた人の心を、和ませてくれるということを。
 特別に意図したり、はたまた作戦を練ったりした訳ではないが、「筋トレ」大好き人間は、会社では、とてもいいイメージを持って迎えられるようだ。
「筋トレ」発言のおかげで、長寿を祝う会は、とても楽しく感じられた。次の機会が訪れたら、「筋トレ、その後」を披露するつもりだ。
 私には実は、もう一つの趣味がある。それは、小説を書くことだ。
 日本語教師は、生活のために辞められないが、私の夢は作家になることだ。将来は、「印税と年金で暮らしたい!」と本気で思っている。
 筋トレをしていると、とてもいいことが、私にはもう一つある。
 それは、小説のストーリーが浮かぶことだ。
(マシーンをやりながら、ストーリーを考えているのは、私だけかもしれないな・・・)
 なんて考えると、少しおかしい。
 教室でマシーンをやっていると、自分の体のことを、いつもよりも「客観的」に見ることが出来るように思う。食べているものを、栄養で、すなわち点数で考えたり、自分の「筋肉」のことに思いをはせたりするからだ。
 小説を書くということも、少しそれに似ていると思う。世の中を客観的に眺めて、自分ではない、言ってみれば「神様の視点」から、物語を紡いだりするからだ。
 私は小さい頃、文学少女ではなかった。成長してからも、陸上競技部で、二百メートルを専門種目として走っていた「体育会系」の人間である。
 だから、カーブスの「筋トレ」が、大好きだ。
 筋トレは、すっかり生活の一部、いや、私の体の一部になっている。
 そして、文学少女ではなかった、筋トレが大好きな、体育会系の人間の書く小説に、自分自身で期待している。