私は週三回、カーブスに通うことを習慣にしている。初めは姿勢が悪いことと、疲れやすくていつでも眠いという悩みがあって入会したのだが、今では毎日元気に過ごすためには、どうしても筋トレが必要と思うようになり、続けている。そう思うようになったのにはきっかけがある。
最近続けざまに、私より五・六才も若い友人達三人が、同じような悩みを打ち明けてきたことにより、ショックを受けたことである。
「私ね、最近ね、何もかもやりたくなくなっているの。すぐに疲れるし、買物も行きたくないから、週一回くらいに抑えているの。食事はあるもので済ませて、テレビも見たくはないし、趣味も無いし、ソファに坐ってボーッと一日過ぎていくだけの毎日になっているの」「えーっ、何かしらに興味をもって取り組むことが若さを保つ秘訣、って聞いたことがあるわよ」と言うと、「だって面倒くさいもの」との返事。
 そんな時、従姉のSさんの訃報が入り、葬儀に参列した。Sさんは百歳だった。お顔は生きていた時のままで、少し微笑んで眠っているようだった。今にも目を開けて、「かめちゃん、来てくれたの?」と言ってくれるのではないかという気がしたが、Sさんは静かに横たわったままだった。
 数ヶ月前、Sさんが自宅を離れ、特養の住人になったという話を知人から聞いた。同居していた息子さん夫婦と折り合いが悪いという噂を聞いていたので、それが理由で住所を分かつことになったのかと、暗い想像をしたくらいである。
 「『かめちゃん、元気?かめちゃんに会いたい』とSさん、しきりに言っていたよ」とも知人は言う。しばらく御無沙汰してしまっていたという引け目もあり、たまらない思いで特養に出かけて行った。Sさんは両掌で私の掌を包み込み、「かめちゃん、良く来てくれたね。かめちゃん、ありがとね」と何度も何度も言っては、うれしそうに笑って下さったものである。
 世間では、百歳にもなったら痴呆になって当り前という常識的な考えがまかり通っているのに、Sさんはそんな常識ははねのけ、しっかりと私の目を見て話して下さった。私は大いに感動し、又、じきに会いに来ようと決心して、その日は別れて来たのである。
 しばらくして又、特養に行くと、「Sさんは怪我をして病院に入院中です」との返事。「その病院を教えて下さい」と言うと、「わかりません」とのこと。住人の入院先が分からないはずはないと思うが、多分、個人情報に関することなので教えてもらえないのだろうとあえなく帰ってそのままになっていたら、今回の訃報である。どうも入院中に体力がなくなり、亡くなったらしい。葬儀に参列していた知人と、「あの時、会いに行っておいて良かった。Sさんにも喜んでもらえたし」と話し合ったものである。
 思えばSさんは実に前向きな人で、ボーッとする時など無い人であった。ゲートボールやグランドゴルフは勿論のこと、書や水彩画をたしなみ、浮き彫りを仕上げては差し上げて、人に喜んでもらうのが好きな人であった。(私も「天に星、地に花、人に愛」という浮き彫りをいただいたことがある)又、Sさんは空いた時間にはいつでも本を読むという生活を楽しんでいた人である。娘さんの話によると、「お母さんはいつでも勉強していて、テレビなんか見たことが無いわよ」とのことでもあった。
 若いのに疲れ切っている人もいれば、片や百歳になんなんとしながらいつでも元気だったSさん。二種類の両極端の人のどちらへ自分は入るだろうかと考えてみたら、今の私はSさんに近いのではないかと自惚れている。
 毎日、すべき仕事はその日のうちに片付けることを目標にし、調味料一つ足りなくても買物には毎日出かけている。趣味は映画鑑賞、読書、創作、絵手紙、詩吟等。友人二人の畑の草取りも買って出ている。週に二、三回は孫守を頼まれるから娘宅に出かけたりすると、私こそボーッとしている時間は無い。すぐに疲れて坐りこみたくなった過去の私。「いつも眠そうね」と言われつづけていた四年前の私から見ると、夢のような変わりようである。
 やはりカーブスの力は偉大である、とカーブスの素晴しさを改めて思い知らされた私。エッセイも書き終えたことだし、さあ!今から又、カーブスに出かけて来ます!