この一年頑張って続けてこれた!
 カーブスエッセイを今年も書くことができた!
 今はその思いでいっぱいです。うれしいです。
 今年の六月でカーブス歴が九年目に入ります。職場でパワハラにあい、人間不信になり、退職して約二年半が過ぎました。「うつ病・不安障害」になりました。そして、その回復は、そう簡単なものではありませんでした。今も闘っています。「自分はそんなに弱くない。」「自分はそんな病気になるはずがない。」そう思っていた私でした。
  身体的にも精神的にも少しずつ回復してきているように感じています。しかし、体調の良し悪しには波があります。特に朝から昼頃までは頭が重たくて頭痛薬を飲んだり、理由もなく淋しくなったり、不安になったりして涙が出る時もあります。そんな自分が情けなくなり、「早く治って仕事を見つけなきゃ。」「社会復帰しなきゃ。」「まだまだ頑張らなきゃ。」と焦りが出て葛藤しています。
  私は二十一才の次男と二人暮らしでした。長男は二十六才で三年前に結婚し、奥さんと二才の子供と別に生活しています。次男は二月に結婚し、三月の末からお嫁さんと同居、三人暮らしになります。
  次男が会社へ出勤すると一人になります。そうすると、ぼーっとテレビを見たり、ラジオを聞いているだけです。後は、掃除、洗濯、食事の準備と家事をするだけです。二人の子供を育て上げるために一人で働き続けてきた私にとって家にいることは、抜け殻になったようでした。カーブスへ行く気にならない時もありました。何となく習慣で行っている時もありました。しかし、カーブスを八年続けてこれたのには、いくつかあります。
  一つ目は『コーチの存在』です。
  私がカーブスへ行くと、「かおるさーん!」「かおるさーん、こんにちは!」とコーチが笑顔で声を掛けてくれました。いつも、いつもです。うれしい一言です。その言葉で何度救われたことかわかりません。また、ある日、Aコーチは「かおるさん、元気?」「今日、元気ない?大丈夫?」と声を掛けてくれました。私は驚きましたが、「大丈夫、元気だよ。」と答えました。その日はちょうど混んでいたせいもあり、モチベーションが下っていて、筋トレ中も恐怖がありました。ストレッチ中に、Aコーチは心配して来てくれました。私は、「さっき『元気ない?』と聞かれたでしょ。あれ図星だったの。」と言いました。それは、私の病気によるもので、いつもより混んでいたりすると人が怖くなってしまうことなども伝えました。Aコーチは、私がいつもより楽しく筋トレしていないように感じたそうです。Aコーチは親身になって考えてくれ、「そうゆう時は言って下さい。一緒にやりましょう。」と笑顔で言ってくれました。その一言で安心できました。うれしかったです。私は、「わかった。ちゃんと『怖い』って言うね。」と少し笑顔で応えられたと思います。その後、毎回、「かおるさん元気?」と笑顔で聞いてくれました。
  大勢いるメンバーさんの対応に忙しいコーチ達です。その中で、個々に気を配ってくれ感謝しています。
  コーチの一言は、真っ暗な私の心にポッと灯を付けてくれます。魔法の言葉です。
  二つ目は『筋トレの大切さの実感』です。最初はダイエットのためのカーブスでしたが、筋肉の大切さ、たんぱく質の大切さ、水の大切さ、健康寿命などを知ることで続けられました。その大切さをコーチが市内のスーパーの出入口でチラシを配ったり、郵便局やコミュニティセンターなどで「体年齢測定会」を開催している姿を見ました。その姿を見て、「私に何かできることはないだろうか?」「筋肉の大切さ」「健康でいることの大切さ」を私も伝えたいと強く思いました。体年齢測定会の会場へ、次男や友達を連れて行き測定してもらいました。そうしていくうちに、私の中で、わくわくする気持ちが出てきたのです。
  孫が二才になりました。どんどん動きが活発になりました。「ばあば、いこ。」と言い手招きをし、私を連れ回します。休むことを知らない孫と遊ぶのは最高の幸せです。六月末には、二人目の孫が誕生します。次男のお嫁さんには、「お母さん、子供ができたら保育園の送り迎えお願いします。」と頼られました。家族が増え、まだまだ元気でいなければいけない、という気持ちも強く出てきました。そのためにも、カーブスは続けていきたいと思います。一月、中国からコロナウイルス肺炎の感染が広がり、二月三月と日本や世界中に広がりました。ライブハウスやスポーツジムなど密集した場所でのクラスターの発生で感染の報道が毎日のようにされていました。政府の自粛要請、小・中・高校の休校、マスクが不足し、トイレットペーパーやティッシュ、アルコール...店頭からなくなり、得体の知れないウイルスに世界中が不安に陥りました。
  そんな中、私の友達が次男に、「お母さんカーブスに行ってるの?」「行ってるなら、お母さんに会えないわ。」と言ってきたそうです。それを耳にした
 私は涙が出ました。「カーブスから感染者が出たわけでもないのに...」人と距離を置いていた私が、病気後できた友達だっただけにショックでした。「コロナウイルスより人が怖い」そんなふうに思ってしまいました。カーブス休業が決った日に筋トレへ行きました。メンバーさんは、ほんの数人でした。カーブスの玄関をくぐるのも周囲の目が気になりました。コーチはアルコール消毒をまめに実施し、感染予防に一生懸命でした。私は、コーチから休業の話を聞き、ホッとしました。なぜなら、カーブスがコロナウイルスの集団感染の疑いや危いという目で見られるのが切なかったからです。免疫力を高めることが体に良いことは健康ブームの今、多くの人が知るところです。しかし、このように世の中がパニック状態に陥ってしまうと自分の身を守ることで精一杯です。
  休業になった初日から家で「部屋トレ」をしたり、腹筋、柔軟、ストレッチなどしました。二、三日ぐらいから、今までなったことのない腰痛になりました。うがいをするのに首を持ち上げただけでも痛かったので、その後、部屋トレは控えました。
  三月十六日、久しぶりのカーブスへ行きました。メンバーさんの人数は、四、五人で淋しい感じでしたが、元気いっぱいのコーチの声に安心感を覚えました。約十日ぶりの筋トレは重かったです。しかし、腰の痛みは不思議となくなりました。家ではなく、ウエアに着替え、カーブスで筋トレをすることは、心も体も健康にするものだと実感できた休業でした。八年筋トレしていても十日休んだだけで体力は落ちてしまうことも実感しました。だから、余計に今後もカーブスを続けていきたいと強く思います。
  そして、もし私と同じような心の病気、想いの人がいたら、少しでも力になれたら良いという想いでエッセイを書き続けたいです。