今日は土曜日。今週は用事も無かったので毎日カーブスへ通う事が出来た。いつもは週3日ぐらいなので、さすがに筋トレは息があがる。ストレッチはいつもよりゆっくりと仕上げる。今週こんなに頑張る理由は、来週カーブスには来れないからである。1週間程、茨城県に住む共働きの娘夫婦の所へ応援に行く予定なのだ。前回は昨年の12月初旬、次男で二歳の孫がウィルス性腸炎にかかり保育園を休む為、私が急遽駆けつけた。1週間程であったが、その間はストレッチぐらいしか出来ず、大阪に戻ると体重も気力も落ちていた。しばらく疲れが残った。一週間、筋トレをしないだけでこんなに疲れが残るのかとガックリときた。カーブスに入会して5年になるが、現状維持していく難しさを改めて感じる。女性は閉経を過ぎ、還暦をむかえると本当にしんどくなるよと、61歳で亡くなった母の言葉が身にしみる。


 忘れもしない7年前の3月10日は、私の54歳の誕生日だった。夕食にと大好きなフライを揚げていた。時折、味見と称して揚げ立ての熱々をつまみつつ。すると突然、胃の上の辺りに何か違和感を覚えた。丸い大きな飴玉がひっかかっている様な、とても変な感じなのである。痛くも苦しくもないのだが立っていられなくなり、その場でしばらくしゃがみ込んでしまった。ふっと前日に観たテレビ番組で心筋梗塞を取り上げた場面を思い出した。いやーっ、これはエライこっちゃ、まさかと思いながらもぞーっとした。あわてて片付けて、近くの総合病院へ自転車で駆けつけた。
 夕方の5時半過ぎ、内科の待合には沢山の人が居た。用紙に今の症状を記入し、何とか挫って待っていた。しんどくはないのだが、身体の中で不安がひろがっていく。少しすると看護師が様子を聞きに来てくれた。ずっと感じている胃の辺りの異和感を彼女に説明する。
 少し顔色を変えた彼女は「気分はどうですか。先生にすぐにお伝えしますね」と診察室に入っていった。ほどなくして出て来た彼女は「すぐ診察室に入ってください」と、私を抱えながら誘導してくれた。応対の医師は奇しくも数年前、危なかった私の夫を救ってくれた人だった。彼は「おう!どうしたんですか?うーん、このあたりが変なんだね。そうだね、血圧を測りましょう。」と手動の血圧計でシュッシュッと圧力かけるのだが、「うーん、どうしたのかな。測れないねぇ」とつぶやいて、看護師に自動の血圧計を持ってくるように指示をした。しかし、エラーの表示がその度に出るので「うーん、新しいものを持ってきてください」と少しいらいらした様子で声をかける。医師は、「山下さん、普段はどれくらいかな?普段、血圧を測ってる?」と問いかけるが、今まで病気知らずの私は小さい声で「いいえ、測ってません」と答える。新たにやってきた自動血圧計もやはりエラーの表示が出てしまう。再度、手動の血圧計で測り直した。私の右上腕部分も段々痛くなり、気分も悪くなってきた。「うーん、えーっ高いなぁ、何や、これ!山下さん、血圧は高いほうか?」「はぁ、若い時から少し高めやねとは言われていましたが・・・」としどろもどろに答える私。「いやー、これは高いよ。上が236、しんどくないの?色々と今から検査せなあかんねぇ。ちょっと車椅子を持ってきて!」と看護師に声をかけた。今度は私が「えーっ!先生、私歩いていきますよ」と抵抗したが、「いやいや、ここで倒れられたら困るから。用心して車椅子に乗って検査してきてね。」と看護師にカルテを渡した。どう見ても元気一杯の肉付きのいい「私」が車椅子に座り、それを細身の看護師が押して診察室を出てくる。何事かと待合室の沢山の眼が、気持ちだけちぢこまっている私をみつめている。心電図、CT、血液検査を受け、点滴を二時間受けた。その途中、医師が声をかけてくれた。「気分はどうですか?明日、検査の結果を詳しく説明しますね。今日は血圧を下げる薬をゆっくり点滴しています。終わったら帰っていいですよ。」帰っていいんだ!生き延びたんだなぁと、医師が去ったあと涙がこぼれた。点滴が終わるとあのひっかかった飴玉の違和感は消えていた。検査の途中、なんとか連絡がとれていた夫が迎えに来てくれた。


 次の日、病院で血圧を測ると、上が180、下が130だった。検査の結果は脂肪肝になりかけで、総コレステロール値、中性脂肪値どちらもかなり標準値をオーバーしていた。これから毎日朝晩、血圧測定をして記録する事や薬の説明、食事療法の説明も受けた。
 通院は1ヶ月目は週1回だったが、2ヶ月目からは月1回になり、半年目にはゆるい薬になった。一年を過ぎる頃には血圧も上が140、下が90に落ち着いた。しかし、あくまで薬を服用しての事であり、診察の度に気を付けてくださいとの注意を受ける。適度な運動と食生活の見直しで体重を落とす、もう耳にたたこが出来る程言われ続けた。5、6キロは落とせるがなかなか続かない。家族や介護していた姑の食事などの管理は出来るのだが、自分の事となると適当にしてしまう。フィットネスクラブにも入会したが、時間のやり繰りが難しくなりやめてしまった


 その頃アメリカでのカーブスを紹介するテレビ番組をみて「いいなぁ、手軽で。でもこんな田舎にはできないだろうなぁ」とうらやましく思っていた。ところがある日、用事の為市場へ行く道を変えて歩いていたら、あの紫の看板が見えるではないか!「えっ、なんで?あっそうか、家具屋のあとにできたんだね」
 うれしくなって、すぐにカーブスを訪れた。テレビで見た機具が並んでいる!「明日入会しにきます。山下です。」とスタッフに伝えた。それから今年の5月で5年になる。入会した頃と比べると体重も10キロ程落ちたが、それよりうれしいのは脈拍の減少である。はじめて4年ぐらいは、青や紫が多かった。今は黄から始まり緑になり黄で終る。
 又、カーブスでの運動が日常生活の一コマにすんなりと組み込まれる事だ。息をする事と同じくらいの普通の事となっている。血圧は今、上が130、下が70と落着いている。


 カーブスでのスタッフの笑顔や適切な指導、仲間達との会話が身体や心までも満足させてくれる。
 有難う!本当に。うれしい、楽しい気持で今日もカーブスのドアを開ける。