子育て中のノラ猫を見掛けた事がある。夫であるオスは居ない。どうしてメスだけがこんなにしんどい目に会わないといけないの。可哀想じゃない。でもこれと引換にほぼ人間の男性は、女性より早く旅立つ。
 なぜ?女性は孫の守りとか嫁いだ娘の相談相手とか姑の介護などの仕事があるから。
 そこで神様が、命を落とすかもしれない出産や子育てに対し、夫である男性の命を削りその分を妻にプレゼントしたのかもしれない。夫の命を上乗せしてもらった分、大切に生きなければ申し訳ない。だから貯金と同じ位大切な貯筋に精を出したい。筋肉は欲張りといわれる程ほしい。そのためにカーブスがある。マシーンはどれもこれも力が要る。
 後期高齢に入って何年か経った今、マシーンに座ったとたん一瞬気後れしてしまう。出来るかしらと不安になる。年をとるということはこういうことなのか。昨日まですんなり出来たことが今日はこうなのか。じゃあカーブスに行かなかったらどうなるんだろう。でも心配の陰に、行ってさえいればなんとかなるのではと、ふ~っとひと息つける。
 こうなったらマシーンとの戦いだ、おじけづいてはいけない。負けてはいけない。そう思うようになった。長く生きていると昨日まで分からなかった事が、今日になって急に分かる時がある。場数を踏んだからか、あるいは経験からくるものなのか。こんな私にコーチの方から「自分に合ったやり方で、続けることが大切です」とアドバイスを頂いた。無理せず挑戦していこうと思う。
 カーブスには大勢の女性がおられる。私は人が好だ。みんなに囲まれていると自分は一人ではないと心が華やぐ。救われる場所だ。おひとり様になった今、一日二十四時間自由に使える幸いの中に居る。
 私の一日は、前夜、寝る時から始まる。
明日は何をしようかとワクワクして床に着く。明朝、目が覚めることを信じて。で、「朝が来たあ~」が、別に何てことはない。普通だ、つまらん。でもこれが一番幸せな事なのだろう。高齢者の行く所は、病院とお寺だけではつまらない。カーブスのメンバーは年令の巾が広く、女性の間でいわれている"ハタチ過ぎれば皆同じ"を地でいっているようでうれしい。ということで私は今だに現役の主婦。振り返れば家の中でどれだけ完璧に頑張ってもプロとは認めてもらえないアマチュアだ。世間を見渡せばプロばかりだ。当り前すぎて気付いていなかった。病院、警察、役所、食の場所、数え上げればキリが無い。プロというのは地域社会に責任を持つことだと思う。
 カーブスは身体を作るプロだ。筋肉を付け血流を良くする。又社交場でもある。出席の自由、平等、博愛、うん?フランスか。元を取ろうと毎日行く。ホテルのバイキングか。マシーンをした後は疲れて、良く眠れる。
カーブスは身体と心に力をくれる。いつまでもカーブスに参加出来る自分でありたいと願うばかりだ。