カーブスがこの町に出来て、私も仲間入りしてもう8年になります。
人工透析をしていて、その頃七年目の私は、疲れやすく、横になっている方が多かったが、気持ちは "このままではどんどん体力が無くなってしまう"。私でもできる運動は何かないかとスポーツセンターなどに行き探していた頃でした。

思い切っておそるおそるカーブス扉を開けてみると、リズミカルな音楽と素敵な色使いの楽しい雰囲気が新鮮に思えました。また運動中、脈を見たりAEDの設置と身体への配慮があって、安心して私にカーブスは最適と思いました。透析をしていても大丈夫と快く迎えてもらえて、カーブスを見学のつもりが入会してしまいました。

カーブスを始めた頃は、マシンが重く感じゆっくりと動かしていました。スクワットは中には入れる体力はなく外で腰を上下していました。終わると疲れ果てて家へ帰ってお昼寝です。そして腰痛膝痛とシップ薬がかかせなかった。スクワットが出来る様になっても、その中に入るのにバーが重くてコーチに上げてもらっていました。
今、カーブスでスクワットを外でやっている人を見ると「"ああ私も前はそうだったな~「大丈夫、頑張って」"」と心の中で応援しています。
そしてカーブスがこんなに長く続けられると思わなかったが、もうカーブスは生活の一部になり用事のついでに30立ち寄る感覚で、どちらかというと息抜きの場所です。またバス旅行で親しくなった友人や顔なじみに笑顔で手を振りながら、みんなと同じくカーブスで軽快にマシンをこなしてます。痛みなどなどすっかり忘れて!

また体調が良いと、気持ちまで前向きになって来たと思う。
「何かにチャレンジしよう」と思った。
筋トレでこんなに変われるなら、物忘れの多い頭を鍛える事は出来るのだろうか、脳も使えば良くなる?脳トレも時間をかければ出来るのではないかと思いました。カーブスのマシンカバーのビビットな色彩に触発されて色彩検定に挑戦しました。「筋トレと脳トレ」まるで青春のようです。カーブスに巡り会え私は変われました。その幸運に感謝しながら、私はこのエッセイを書いています。

考えてみると毎日、日曜以外は「大丈夫ですか、お変わりないですか」と優しい言葉
 朝目を覚ますと今日はカーブスの日か透析の日か考える。カーブスと透析、どちらも週3回一日置きです。白い部屋で5時間横になる、翌日はビビットでハイテンションで筋トレです。
透析は15年で、ある人に「まだ透析やっているの?」と聞かれて、私は透析をしないと生きてはいられない身体だと改めて実感。「本当は辞めたいよー・・・」
カーブスを辞めた友人達に、どうして辞めたのと聞くと「マシンが重い・・・遠くて大変・・・ストレスになる、」との事。
"どこか悪い所があってもゆっくりと自分なりのペースで何年かかければ筋肉が付いてきて、そうしたらマシンは重くなくなるし気持ちまで軽くなるのに!と私は残念でならない"。

地震や環境のめまぐるしく変わるサバイバルの様な誰も頼れない"よるべない時代"、自力でずっと歩く為には筋肉が大事!老後の財産は何よりよりも自分の筋肉量だと思う。経済的な余力はなんとかなるかもかもが知れないが、体力や筋肉は自分で努力して付けていくしかない。買う事はできないし、貰えない!!「銭の"金タメより筋タメ"」筋肉を貯めて体力の余力を持っていないとサバイバーは生き残れない。筋トレをして未病を防止できたら医療費もが軽減されてハッピーに暮らせると思う。毎日毎日身体をメンテナンスしたりされたりしている私だからこそ言えます。

 私は服飾デザイナーの夢を抱き18歳で上京し、昼にデパートの販売員として働き夜間に2部で服飾デザインを勉強してアパレルデザイナーとして就職したが、その年の会社の健康診断でたんぱく尿が出ていて、詳しく検査するとネフローゼと判りで即入院になりました。3か月安静にしていても治らず慢性のネフローゼ症候群と判明し退院と同時に退職になりました。 
無理をしなければ生活は大丈夫でしたので、その後結婚をしました。そして新たに就職し婦人服イージーオーダーデザイナーからファションショーデザインをも手がける様になりました。やがて妊娠が分かって出産の為会社を辞めました。

腎機能に問題があり母体が危険と言われました。大学病院をはしごして頼み込み許可され出産できました。それからは子育てが楽しく夢中でした。しかし子供が私の手を離れて自立する頃は腎機能がだんだんと落ちてきて、身体が怠くとうとう四十代で透析になりました。
その頃の私は弱々しく無力で、世間によくある離婚話です。透析導入とほぼ同時に離婚に向けた一人暮らしになりました。「藁にもすがりたいとはこんな時かな」1日1日と生きているのがやっとで、そんな中、家庭裁判所に通い、さんざんな思いで半年間調停をして離婚が成立しました。
 
パソコンをやり始めてメールで趣味が合う彼と出逢った「お話がしたいです」のメールから彼と合うようになりました。
彼は"「夫婦になれば自分の腎臓をつね子さんに移植して上げられるから」"(配偶者間の腎臓移植は日本では多い)「結婚しよう」と言った。この私に腎臓を!?、こんな日が来るなんて。天にも登る気持ちだ!! それからは景色が変わって見えた。

彼の住む町に犬とやって来て近くに住むようになった。
そして少しして、
町にカーブスが出来ました。

カーブスの色使いにも元気がもらえたし女性は色の感受性が強いので大事なアイテムと実感しました。書店で色彩検定のテキスト&問題集を1冊買い求めた。色鮮やかなテキストは小難しくも発見があり楽しい。そして思ったのは、食べ物、運動、のほかに色でも元気に身体を整えられる。"色は心のサプリメント"特に暖色の持つ力。
その中でも赤は特別で誘目性という本能に訴え目を惹きつける力がある。ピンクは優しい。オレンジは元気。黄色は幸せ。など、どう身体に作用されるのか興味が湧いた。

60歳でR大学での3級色彩検定試験に挑む。ホットパンツの学生達に囲まれ私もこんなキャンパスライフを送りたかった、など横目で羨みながらも{私は女優「今日は大学生の役」、キャストだ}と自分に言い聞かせ、3級色彩検定を受け1回で合格、2級は苦手な記述があり1度目は不合格、諦めずにノートに何回も書いて覚え2度目で合格、さっそくカーブスのチーフに2級色彩コーディネーター合格を報告すると、ハイタッチで一諸に喜びを分かち合った。

私は「まだまだできる!!〝筋肉と脳みその復活を実感"」しました。こんな日が来るなんて本当にカーブスのおかげです。
そして体力年齢の測定でも実年齢より若く結果が出て、コーチも良かったねと顔を見合わせた。

だからもう昔の病人役は当たり役ではない、若い魅力的な女優の役を演じきりたい。
今日、カーブスに遅れて行ってしまった私に「来てくれて嬉しい」とコーチの言葉に笑顔で目を会わす。「笑顔は前歯を全部見えるくらい口角を上げて」心がはずむ。〝投げキッス"
カーブス、そして仲間、コーチのみなさんへの感謝の気持を書きました。