私はこの春初めてカーブスと出逢い、カーブスデビューをしてまだ1カ月足らずの新人です。


1カ月前の今頃はまだカーブスとの出逢いを想像もしていませんでした。
そして悲しみに明け暮れる日々を送っていました。と、言うのも5ヵ月前私にとってかけがえのない存在だった父を亡くし3ヵ月前、納骨を終えたばかりなのです。


私は幼い頃から大のお父さんっ子でした。父は人が良く(バカがつくほどです)、人にだまされては保証人になり借金を抱え母と離婚、20年程一人暮らしをしておりました。そんな父でしたが私はいつでも父のことを想い、心配し、周りの誰もが知るお父さんっ子だったのです。
そんな父が2年3カ月前のある日、突然脳梗塞で倒れとても危険な状態で病院に運ばれたとの連絡を受けました。当時父はまだ65歳、前日まで仕事に出ていて3日間突然に無断欠勤、連絡がとれず運ばれた日の朝、会社の方がアパートを訪ね、管理人さんにかぎを借り部屋に入ると倒れていた所を発見。すでに意識はなく半分冷たくなっていたとのこと。
1月末の寒い時期、父は丸3日一人きりで倒れていたようで、それでも何とか息はあると救急車で運ばれたのでした。そこではじめて、連絡を受けた私は体中ふるえが止まらなかったのを今でもはっきりと覚えています。


そのうち老後一人暮らしがむずかしくなったら一緒に暮らすことになるだろうとは思っていました。幸いなことに私の主人や21歳の長男、16歳の次男の2人の息子も父と仲良くしてくれて、よくわが家に泊まりに来ていた父。大切な父と仲良くしてくれる家族に感謝しておりました。
でもまだ元気だったし、65歳といえば周りの同年代の方々もお元気な方が多く、まだ大丈夫だろうと思っていました。そんな折りの突然の出来事に信じられない思いでタクシーをとばし病院に向いました。病院に着くなり担当の医師に呼ばれ説明を受けがくぜんとしました。
「お父さんは重い脳梗塞でまる3日倒れていたためMRIを撮っても左側の脳はまっ黒で血管さえ写らない、完全に壊死している、ひじょうに危険です。覚悟して下さい・・・。
万が一助かったとしてもリハビリも不可能。寝たきりでしょう・・・・失語症で話もすることも不可能、物を飲みこむ能力もうばわれてしまっているので水一滴さえ口からとることも不可能。早急に胃ろうの手術が必要です」と告げられ、頭の中がまっ白とはこういうことか・・・・と痛感した瞬間でした。
奇跡的に一命をとりとめた父、ですが、担当の医師が説明した通りの後遺症が残り、最初の1カ月は意識はもどったものの物を理解している様子は全く見られず右半身は全く動かず目を開いているだけ、しゃべることも飲食もやはり全く不可能でした。
ただ2ケ月目に入りようやく意識がはっきりしてきて自分がどういう状態にあるのか気づいた父はただただ泣くばかり・・・・子供のように泣いていました。私も一緒になって泣きました。
でもせっかく助かった命、残された時間がどれくらいあるのか?
これから先どうなっていくのか不安と悲しみの中、私は最期までお父さんっ子の娘として父に寄り添う決意をして日々父の所へ通いました。そんな私を支えてくれたのは主人と息子達でした。感謝の気持ちでいっぱいです。


病院から介護施設へと移った父、ちょうど2年前の4月。桜の花が咲いている頃でした。
多くの人との出逢いがあり、たすけていただき、人のあたたかさを感じ多くのことを学びました。
そして何より父と一緒に過ごす大切な時間・・・私も仕事と家事の合間に通っていたので一時間ほどの短い時間でしたが、父と触れ合うことのできる大切な時間でした。
その頃父は会話は無理でしたが、こちらの問いかけにうなづいたり首をふったりできるまで回復し、意志疎通はできるようになっていました。私が行くとありがとうと言いたいのか頭をなでてくれたりハグしてくれたり、もちろん寝たきりで右半身は動かないまま左手だけでの行動でした。
幸せな時間でした。このまま時が止まってしまえばいいねと父に言うと、大きくうなずいていた父。そんな幸せな時間・・・・でも帰りのバスの中はいつも私は涙があふれていました。
いつこの時間が終わってしまうのだろう、明日はまた父に逢えるだろうか・・・・と、涙が止まりませんでした。父も私が帰る時は必ず泣きながら私のうでをひっぱりなかなか離そうとしませんでした。


そんな中、父の体は徐々に弱っていき体重も元気な頃の半分位になり体力も落ち、1年10カ月の闘病の末、2014年11月静かに息を引きとりました。67歳でした。


父が闘病していた1年10カ月の間にも身内の不幸が続き、叔父、仲の良かったいとこ、祖父と続けざまに亡くなって、とうとう大好きだった父も亡くなってしまい、私は、悲しみとさみしさに明け暮れる日々を送っていたという訳なのです。
涙にくれる毎日、そのうちに私も体調をくずし病院で色々検査をしましたが病気はみつからずストレスと過労による体調不良との診断がくだるばかり・・・家族にも心配をかけてしまいました


そんな時、カーブスのチラシがふと目にとまり、"そういえば父の所へ通う途中、バスの中から見たことあるなあ~と思い起こし体験に行ってみることにしました。明るく対応してくださったコーチの方々、周りには父と同年代の方がたくさんいらっしゃって明るく元気にがんばっている姿が印象的でした。私もここでがんばってみたら少しは元気に戻れるかもしれない・・・・と一筋の明るい希望が見えた気がしました。
実際に体を動かしてみると、スッーと身体が軽くなった気がしてそれまで重かった身体が少しだけ楽になったように感じしばらくがんばってみようと決意!!
週4日くらい通い、ようやく慣れて来たところです。でも体調もとてもよくなり、歩くことも多くなり、元気をとり戻しつつあります。


父が生前は仕事が終わり父の所へ通っていた午後の時間、ぽっかり私の中で穴があいてしまった時間でした。
でも今はカーブスに通い穴のあいた時間を埋めることができたように思え、少しづつではありますが、しっかり前を向いて前向きに考えられるようになりました。


父も心配だったことでしょう、あの世から心配で、私とカーブスを出逢わせてくれたのかもしれませんね、元気になれ!!がんばれ!!と応援してくれていることでしょう
倒れた時、死んでしまってもおかしくはない状態の中で1年10カ月、つらい闘病生活を送りながら、父は私に生きることの大切さ、元気でいることの大切さを教えてくれました。
そしてたくさんの思い出もくれました。
せっかく、「カーブスを通して変わった私の毎日」です。今まで支えてくれた家族のためにもこれからは日々、元気で明るい毎日を送れるよう努力して行きたいと思っています。