いつもと何も変わらない朝・・・。いつもと同じように主人と娘を送り出し、いつもと同じように自分も出勤をするはずでした。 『うぅ・・・痛い!! 起きれない・・・!歩けない・・・!!』腰から右下肢にかけて、今までに経験したことのない激痛が走り、歩くどころか、起き上がることすら出来ません。『私の身体、一体どうなってしまったのだろう・・・。』 やっとの思いで、主人に病院に連れて行ってもらい、下った診断は、【腰椎椎間板ヘルニア】ある日突然の出来事でした。緊急入院を余儀なくされました。夜も眠れず、食事も喉を通らず、ただ激痛に耐える地獄のような日々の始まりです。温存治療か手術かの選択を迫られましたが、神経に関わる手術、恐怖のほうが先に立ち、温存治療を選択しました。 約1ケ月が過ぎた頃、症状は一向に改善されず、痛み止めの薬でほんの少し痛みが緩和された程度。2度のブロック注射も全く効果がありませんでした。 全く先の見えない状態に、精神的にも肉体的にも限界を迎えようとしていました。 そんな中、不運は重なります。実母が胃癌の宣告を受けていたのです。そんな事とは知らない私は、毎日のように病室を訪れ、励ましてくれる母に、 「毎日来ても治る訳じゃない!」「毎日来なくていい!もう帰って!」 などと暴言を吐き、溜まるストレスを母にぶつけていたのです。 そして私が手術を決断し、決定した手術日のわずか3日後に、母の胃癌の手術が決まりました。 私のことを気遣い、言えずに隠していたようですが、同じ病院で、3日後に手術をすることとなり、隠しておくことも出来なくなって、話してくれました。それでも母は、私のことを気遣い、「どっちが先に退院出来るかな?頑張らないとね!」と励まし続けてくれました。私は、何も知らなかったとは言え、本当に自己嫌悪に陥りました。母も自分の事で精一杯だったはずなのに・・・。父に先立たれ、娘の私に一番頼りたかったはずなのに・・・。 それから母との二人三脚が始まりました。励まし、励まされ、何としてでも元気にならなくては・・・。精神的にも少し前向きになれました。 そして迎えた手術の日・・・。早く楽になりたいばっかりに、安易に手術に踏み切ったことを後悔することとなります。術後の痛みと苦しみは、想像を絶するものでした。幾度となく、夜中にナースコールをし、「お願い!助けて!」と泣き叫び、看護師さんを困らせました。それでもただ、3日後に手術を控えた母に、『私は、もう大丈夫!元気になったよ』と伝えたくて必死に頑張りました。 そして今度は、リハビリの開始です。40日もの間、一歩も歩かずベッドの上で生活をしていると、そう簡単には歩けません。ご高齢の方が、一度寝込んでしまうと、寝たきりになってしまうことがあるというのは、こういうことなんですね。もともと健康で、私くらいの年齢でも、相当の努力をしないと普通に歩くことすら困難です。それでも、早く家に帰りたい一心で頑張りました。 そして待ちに待った退院の日。鏡に映った自分の姿を見て、愕然としました。以前の自分の姿とは、似ても似つかない、まるで老婆と化していました。入院中、ほとんど食事が摂れなかったこともあり、確かに激ヤセはしましたが、筋肉という筋肉は衰え、弛み、今までカーブスで頑張ってきたことが、全て水の泡となってしまったかのようでした。 改めて、筋肉の大切さを思い知った瞬間でした。そして、主治医の先生の、「筋トレが一番大事!筋肉のコルセットが必要!」との後押しもあり、必ずカーブスに復帰して、以前の身体を取り戻すことを決意しました。 それでも退院後、思いとは裏腹に、ここまで体力と筋力が落ちてしまうと、倦怠感と脱力感で身体が思うように動きません。筋トレは、継続しなくてはダメ!ということ、本当に身をもって体験しました。 病気とは無縁だった私が、お産以来の入院生活。人生で、こんな壮絶な経験をしなくてはいけないのか・・・と思うくらい辛く苦しい経験でした。その中で、たくさんの人に支えられました。一日も欠かすことなく病室を訪れ、支え、励ましてくれた夫を初め、大学受験で一番大切な時期だったにも関わらず、「お母さんは、色々なことに頑張り過ぎたんだよ!だから、神様が少しお休みをくれたんだね。私は大丈夫だから・・・」と言ってくれた娘。自ら胃癌に侵されながらも、必死で支えてくれた実母。私に代わり家事の全てを引き受けてくれた義姉。執刀医の先生はもちろんのこと、入院中どんな状況にも嫌な顔一つせず接して下さった看護師さん。LINEやFacebook等で励まし続けてくれた同僚や友人。その他、色々な方面から私に関わって下さった全ての人に『ありがとう!』を伝えたい。 そして今、カーブスに復帰し、「元気になられて、本当によかった!」と涙を流した下さったカーブスのスタッフさんたちに支えられ、日々、再び筋トレに励んでいます。以前の、健康な身体を取り戻す為に・・・