私は元々運動が好きでしたが、幼い頃から病気ばかりしていた為、運動はさせてもらえませんでした。なぜかすぐ転んでしまい、頑張っても同年代と同じ様に動く事は出来ませんでした。
人はそれぞれ得意な事と不得意な事があると思います。私にはその不得意な事が多かったのです。逆に2歳上の兄はスポーツ万能でした。結婚をして子供も生まれ、2人の女の子の父親となりました。叔母になった私、可愛くてたまらない姪たちです。遊び相手になりたくても私は大柄で動きが鈍く、姪たちのすばしっこさに付いていけません。なにしろその頃の私は5Lサイズを着ていたので動くだけで大変でした。
そんな時、「2014年4月15日よりカーブス浜北於呂店オープン」の広告が目にとまりました。「母さん、私ここに行きたい」と母に言うと、「本当にやりたいのなら応援するよ」と言ってもらえました。早速、予約を入れました。そして、「絶対変わってやる」と決心しました。泣き虫で他人の言葉に惑わされてばかりの自分から抜け出して「強くなりたい」と心から思いました。でも、予約の日が近づくにつれて不安でいっぱいになり、何度もお店に電話をかけました。「私は動きが鈍いですが、大丈夫でしょうか?」「私は不安症で困っていますが、迷惑じゃありませんか?」「私は太り過ぎていますが、マシンが出来ますか?」などなど。その都度、電話口のコーチの方が優しく応対してくれました。予約の当日も不安で、母について行ってもらいました。「いらっしゃいませ、こんにちは。ようこそ。」と明るく元気いっぱいに声をかけて頂きました。コーチの皆さんの笑顔に私の不安は少し消え、明るい気持ちになり、爽やかさを感じる事が出来ました。その場ですぐ入会の手続きを、もちろん母も賛成してくれました。そして、マシンと、ストレッチを体験させてもらい、翌日から通う事に決めました。
でも、他人と接する事が苦手な私はしばらくの間マシンをしている時は話しかけられないように耳を塞いでいました。それでもコーチの人たち(私は先生と呼んでいます)とは心を開いて向き合う事が出来たのですが、時々、話された言葉の意味が分からなくなり、戸惑ったりしました。そんな私に気づいた店長さんが声を掛けてくれて、話し合いの場を作ってくれました。私は幼い頃からの事を隠さず全部話しました。自分に自信を持てない事や、幼稚園の時代からずっといじめを受けていた為、高校は地元ではなく遠くの市の通信制に行かざるを得なかった事、そんな弱い自分が大嫌いでした。「でも、これからは強くなりたい、変わりたい。」そんな思いでカーブスに来た事を全部コーチに話してしまいました。そんな私なのにコーチたちのサポートのお陰で、1ヶ月後、家族から「背中がスッキリしてきたね」と言われる様になり、5月の花博に出掛けた時は会場をぐるりと一周歩いて回れる様になっていました。一万五千歩以上も歩いていたと知ってびっくりでした。そして、疲れやすい私だったのに、翌日も元気に出勤出来たのです。勿論、仕事帰りにはカーブスに行って汗を流しました。これは完全にカーブス効果が出てきたのです。本当に嬉しかった。
 ところが、職場の同僚に殴られて、肋骨を骨折してしまいました。しかも、「全治3週間の骨折です。」と診断されてガッカリしました。カーブスが遠くへ行ってしまう気がしたからです。でも諦めきれずにコルセットを着けてストレッチだけでもと思いカーブスに通いましたが、殴られた恐怖から立ち直れず、眠れなくなり食事や水が喉を通らなくなって、歩く事も出来なくなりました。
飲水摂食不良低栄養症と診断されて、入院をする事になって、一時退会するしかありませんでした。本当に悔しかった。
でも「スマイル、スマイル、小春さん待っていますからね」のコーチの言葉と笑顔に励まされて、私は3ヶ月間の入院生活に入りました。病室でずっとカーブスの事ばかり考えていました。退院したら思いきりマシンをやりたい、その事ばかりでした。カーブスで健康的に痩せる事を目標にしていたことを忘れないように自分に言い聞かせ、手紙を書いて入院生活の気を紛らわせました。コーチからの返事がとても嬉しかったので沢山書きました。流動食で少し体力が付き、自力では歩けなかったけれど、どうしても行きたいと母に頼んで外出届けを出してもらい、抱えられながら車に乗せてもらい、30分走ってカーブスを覗きに行きました。「待っているから、待ってるからね。」とコーチが車まで来てくれて笑顔で言ってくれました。
9月に入ると試験外泊を繰り返し、退院が近くなり、嬉しい反面不安もありました。まだ自力では歩けないのです。9月の末に退院はしましたが、めまいがひどくて杖なしでは歩けません。3ヶ月間、ベットから離れる時は車椅子に世話になっていた私は、このままカーブスに行けなくなったらどうしようかと思うと気持ちが暗くなり、全部だめになってしまうと思い詰めてしまいました。でも不思議なのです、「もういつでもカーブスに行けるし、また初めからやり直せば良いのだ、私には時間があるのだからなにも焦ることはないよね」と気持ちを変えると自分でも驚くほど力が出て、数日で杖なしでも歩けるように頑張れたのです。あと何ヶ月も行けないかも、と思い詰めていたカーブスへ翌月から再び行けるようになったのです。 「小春さん、お帰りなさい。待っていましたよ。」とコーチのみんなに歓迎されて、本当に嬉しかった。退院後の受診で師長さんにも「驚いた、歩いてるね、奇跡だわ。」と言われました。今、誰の手も借りずに自分の足で歩けること、何よりあの時諦めずにいた事、命を落とさなくて良かった事、そしてもう行けないかもと思っていた大好きなカーブスに再び戻れた事が嬉しかったです。
そして、11月の静岡大道芸では父と2人で朝から夕方までなんと7時間近くを歩き通し、「去年も一昨年も途中で伯父さんに車で迎えにきてもらったのに、今年は歩き通したなんて凄いね。カーブスのお陰かな」と父も母も驚いていました。私はやっと毎日楽しく元気良くカーブスに通えるようになったのです。カーブスのコーチ、私の先生達は私を見捨てませんでした。通い続けたから私は5LからLサイズへと変身出来たのです。幼稚園児の姪は、私が遊びに行くと、まとわりついて放れません。私の真似をしてダンスをしたりカーブスのストレッチをやりたがります。あんなに追い掛けるのが辛かったのに、もう大丈夫、以前のように息切れなんてしません。私は確かに変わったのです。身体が軽くなって、心も軽くなって、姪たちの遊び相手が出来る叔母さんに変身しました。
そして、1年前カーブスに通い始めた頃はメンバーから避ける様にしていた私が、カーブスでの生活は大事な私の一部、メンバーとの関わりも大切にしなくてはと気付かされ勇気を奮って自分から近づいて行ったら、「小春さん痩せたね、笑顔が増えたね」と声をかけられるようになりました。私を常に温かく迎え入れてくれたカーブスがここにあること。今日よりも笑顔になれる素敵な場所、明日はもっともっと輝ける場所がカーブスです。
カーブスが私の近くに来てくれたことを心から感謝しています。今こうして笑っていられるのも、少し強くなれたのも、カーブスのお陰です。