私がカーブスに出会ったのは、今から三年前、五十歳の時です。四十五歳ぐらいから徐々に体重が増え,LLサイズの服しか着れなくなりました。せめてLサイズの服が着れるようになりたい、運動不足を解消したいからという軽い気持ちでした。次女が二歳のときから二十年ずっと仕事をしていたので、木曜日の午後しか通えませんでした。しかし、少しづつ体重も体脂肪も落ち、姿勢が良くなりました。それは毎月の計測があるおかげだと思います。計測の日が近づくと、自然と甘いお菓子や油ものを控えるようになったのです。


入会して一年目、目標の体重も達成したころのことです。胃の調子が悪くなりました。胃カメラや大腸のカメラをしてもたいした異常はなく、胃薬を飲んでしのいでいました。右膝の痛みもでるようになりましたが、レントゲンの上では異常がなく、しっかり太腿の筋肉をつけるように言われたので、できるかぎりカーブスに通いました。思えばこのころより不調のサインがでていたのでしょう。毎日残業が多く、平日は最低限の家事をして、日曜日は掃除と洗濯をするだけで、どこかへ行く気力も体力もありませんでした。胃腸の具合はどんどん悪くなり、便秘と下痢の繰り返しでした。暖房の下にいるとのぼせて、冷房の下にいると冷えて下痢をする。体温の調節ができていないようでした。それでもカーブスにいくと血の巡りがよくなり、行った翌日は調子がよかったのです。
去年の四月の終わりのことです。その日は四月にしては暑い日でした。下痢気味だった私はトイレに行きたくなくて水分を控えていました。仕事中の午後七時半頃、気分不良でふらふらになり、夫に迎えに来てもらい病院にいきました。脱水をおこしていました。その日は点滴で楽になりましたが、翌日は十二時ごろにはめまいが強くて早退しました。これ以上働いていたら迷惑がかかると思い、退職を申し出ました。六月の初めに退職。婦人科を受診したところ、更年期障害で代謝が落ちているとのことでホルモン剤の貼り薬と漢方薬で胃腸の調子は良くなりました。その後は、二十年ぶりに専業主婦になれた開放感で、一週間ぐらい自宅で一日の大半をソファーに寝そべってだらだらと、カーブスに行かずに過ごしていました。保険証の切り替えができるまでは、できるだけ外出は避けようと思っていたのです。
この自堕落な一週間で筋肉が衰えたのでしょう。ちょっとしたことで膝をひねり、変な歩き方をしているうちに腰も痛くなりました。あわててカーブスに行くも、膝を使うマシンはこわくてできませんでした。スタッフの方も心配して下さり、無理のないよう運動するように指導されました。しかし遠くの病院に検査のために運転してから膝と腰の痛みとしびれがひどくなり、十月よりカーブスに行けなくなりました。痛み止めの注射を近所の整形外科でしてもらう日々。買い物は夫に頼み、痛みのひどい日は夕食も夫に作ってもらっていました。階段は一段づつゆっくり上がり、床からは立ち上がれないので。椅子までおしりで移動して腕の力で椅子に座り、立ち上がっていました。布団から起き上がる時も同じようにしないと起きれませんでした。


カーブスのスタッフの方から心配の電話がありましたが、私の心はカーブスをやめようかどうか迷っていました。スタッフの方は、今やめるとまた入会するのがおっくうになるので、できれば退会しないほうがいいと助言していただきました。その頃は十分しか歩けなかったし、座っていても両足がしびれていつも足をあげていました。楽なのは眠っている時だけでした。
十月の終わり、夕食の支度を仕掛けたのですが、しんどくて床に横になろうとしたところ、尻もちをついてしまいました。すると腰から下が熱くなってしびれて動かなくなりました。夫に病院に連れて行ってもらい、点滴をしてしびれは少し楽にはなりましたが、左足が動かないので立つことができません。入院することになりました。車椅子に乗せられた私は、まだ五十二歳なのにこのまま歩けなくなったらどうしよう、という不安がよぎりました。でも心配そうな夫の前で、そんなことは言えません。検査の結果、腰と膝はそれほど悪くなく、首の神経の一部が細くなっていました。3日目より手すりをもちながら杖でゆっくり歩けるようになりました。入院中もベッドでできるストレッチをしていました。ストレッチは毎日しましょうとカーブスのスタッフの方に聞いていたからです。飲み薬とリハビリで少しづつよくなり、一カ月後に退院できました。


退院して寝室を見て驚きました。ベッドがあるのです。リビングにいくとやはりベッドがありました。入院中に「膝と腰が痛いのでベッドがあれば楽なんだけどなあ」という私の一言を夫が実践してくれたのです。二人の娘のために買った大きめの二段ベッドがしまってあったのですが、それを組み立ててくれたのです。「これで尻もちつかなくていいだろ」と言う夫の言葉にうれしくて涙がでました。
家での生活になれた十日後、十二月の始め、カーブスに行きました。スタッフのみなさんはとても歓迎して、入院生活の話を真剣に聞いて下さいました。二カ月ぶりなので一周だけ軽くしました。今までできなかった足のマシンもゆっくりならできるようになりました。
一日おきにカーブスに通ううちに少しづつ体力がつくようになり、一月からは中断していた陶芸教室も再開し、娘と買い物をしたりしました。主治医の先生は、歩き方がどんどん良くなる姿をみて驚いていました。三月には同窓会に、四月には花見に行きました。坂道の中、一時間半も歩けました。十分歩くのがやっとだったのがうそのようです。中でもうれしかったのは、次女の引越しを手伝えたことです。車で片道一時間乗り、荷物運びは夫に任せ、真新しいスーツとブラウスを出してハンガーにつるすと、これでやっと彼女も社会人になるんだと感慨無量でした。スタッフの方に話すと、「よかったですねえ」とその度に喜んで下さり、とても励みになります。
 

 カーブスのよいところは、無理なくいつのまにか全身の筋力がつくこと、気軽にいつでも行けること、雨の日でも寒くても暑くても運動できること、スタッフがいつも笑顔で話を聞いてくださること、だと思います。「毎日歩けばいいじゃない」という人もいますが、なまけものの私は寒かったり、暑かったり、雨が降ったりすると歩かないので継続できません。それに、歩くだけでは、上半身の筋力はつきません。
あのとき退会していたら、今の私はないと思います。初めはカーブスを無駄だといっていた夫も「カーブスに行ってくる」と私が言うと、笑顔で送り出してくれます。カーブスの効果を認めてくれたのでしょう。今でも膝や腰が痛むこともありますが、カーブスに行くと良くなるから不思議です。これからも生活の一部として、ずっと続けていきたいと思います。