私は六十才代。カーブスのメンバーになり、九年目。途中、ノーメンバーになったのが、六ヶ月ぐらいありました。
初めて申し込みした時のスタッフは、残念ながら、いません、皆さん明るくいい人ばかり、自分も自然と明るくなり、楽しかった。(現在の方も、明るく良いスタッフです。)

自分から、入りたくて、一人で来て申し込みました。アメリカにて、カーブスが誕生したことも興味ありました。台の上で、足踏みをしている時、流れる曲も好きでした。アメリカに住んでいた事もあり、ポップスが大好き。踊ることも大好きでした。
カーブスは 筋肉をつけるためのものですが、私の性格としては 三十分というのは、魅力でした。楽しかったです。

五十才代で、カーブスのメンバーに、なったのですが、車で、両親のため、高速を使って一時間かけて運転して行っても、主人のお供で、東京の病院へ行っても、夕方、カーブスへ行ったものです。やりたかったから。やる元気もあったから。
又、カーブスが始まる前に、一番に並んで運動したものです。今では、午前中に行けるのが数えるくらいです。行く気はあるのですが。気力がなくなったのか? 自分の環境によるものが、大きいです。家族との関わりとか、優先しなければならない事が、多々あるからです。

カーブスの雑誌の中に、「ココロの処方箋」というコラムがあります。以前に読んでいれば、次のような文章が頭に残りました。

大切な人を亡くしてしまったとき
命のバトンを受け取ったのだから
精いっぱい充実した人生を送り
"あの世"で笑顔の面会を果たそう

たくさん泣いた人ほど
前に進むことができる

大切な人が待っている
素敵な"あの世"

つらくてたまらないときは
逆の立場で考えてみる

命のバトンを受け取って
次の世代につなげる

右記の言葉を四年前に、読んでいたら。
私が六ヶ月退部したのは、四年前、三年前と両親が相次いで、他界したからです。ピンピンころりと。二人とも、私は、死ぬ目に会っていないのです。人は、子孝行というけれど。その時、会えなかった申し訳なさ、無念、情けなくて、なかなか立ち直れなかった。  やる気もなくなり、家へとじこもるようになりました。

衛藤信之先生は、逆の立場で考えてみて下さい、とアドバイスすると。
つまり、両親は、こう言っていると考えなさいと。
『私達は、大切な人を苦しめるために存在していたんではないよ。もう、十分泣いてもらったから、そろそろ、笑顔を取り戻して、幸せに暮らして』と思うのではないでしょうか。
この文章は、前向きに生きるように、背中を押してくれているような気がします
正直、相次いでの二人の死は、受け入れることができなかった。時間がよい薬だよと言ってくれる友達もいました。つまり、時間がたてば、元気になれると、旅行などもしてみたが、ぽっかり空いた心の穴を埋めることはできなかった。

今は、大丈夫です。
人は、自分だけしたいことがあっても、それをあきらめ、動かなければならない時があります。つまり、カーブスを休んで。
両親のためだったり、主人のためだったり、もちろん、自分が入院したりして、・・・・。
カーブスへ来ると、汗をかき、気持よいものです。毎回きたいのが本心ですが、そうはいかなくなっています。
例えば、二月に、主人の父が他界し 実家へ二往復し、カーブスへは一回しか行っていません。三月は、十回、四月は、又、法要で主人の実家へ行き、帰ってきたら風邪をひき、今月は、まだ一度もカーブスへ行っていないです。(四月九日現在)

正直言って、無理はできなくなったなぁと感じているこの頃です。
何もなければ、毎日、カーブスへ行きたい。楽しいから。そう、行けなくなったなぁと感じているこの頃でもあります。
人間は、一人では、生きていけないので、人のために、又、人に助けられ生きていくのだから、今の状況を見て、無理のないようにカーブスへ行きたいと思っています。
カーブスへ行けば、心はハッピーになれるし、元気になり来てよかったなと思う場所です。私にとって、オアシスです。
又、カーブスへ通うことで、親しい友人ができ、それも楽しいものです。
カーブスは、年払いしているので、休んではもったいないし、一生、健康でいたいし、そのために、カーブスへ通い続けたいです。
「継続は力なり。」