「ヤッタ!ヤッテシマッタ!」
床に着いた私の右手首が鈍い痛みと共に、みるみるうちにむらさき色に腫れ上ったのだ。 骨折、春にはまだ浅い。 でも本当に穏かな2月の午後、全く思ってもみなかった事態になった。 自身、一番気をつけていたはずであったのに・・・・・・・・・・・・。

 友が新築したので一度遊びに来いという。 日曜だし、どうも3人持った子供の1番下の子と同居するらしい。 遅い結婚で、それでも若いお嫁さんが同居を希望したというので、 天にでも上る程喜んで、それでは、と言うので、今流行りの二世帯住宅を構えたというのだ。 白壁のぐるりで、扉も窓も若い人好みの作りで、あちこち説明されて「ワァー凄い。素敵ね」の連発で、 溜息ばかりが口から出る。 それでも上は若い人の住居で下は私だけなのよと案内されて、 畳と障子の部屋の真ん中に昔ながらの足の下ろせる畳一枚程の四角い場所が彼女のテーブルだそうで、 もちろん炬燵であった。なんだかホッとした気分になる。 だが上にも下にもキッチンとお風呂があるという、三人住まいなのに不経済では?と思ったが、 若い人達は仕事を持っており、朝は早いし、お風呂なども帰宅してから沸かしてサッサと浴った方が経済的なのだそうだ。 食事も若い人は外で済ませてくるそうで、たまの休みの日も子供が産れれば外出もままならない、 と言うので出かけることが多いという。 あなたも一緒でしょと言うと「とんでもない!」と言い、 息子が「母さん これ」と言って寿司折のお土産を渡すと「おやすみなさい」と2階へ上ってしまう。 「世話がなくて良いじゃないの。」と言うと「まあね」という友の顔が「お互いに気を使うことが無いからね」 と言ったわりには暗かった。 そうか、息子さんの結婚までは食事やら身のまわりに気を配ったのは彼女であったのだった。 私は気を取り直して「そろそろ帰るね、ありがとう。また寄らせてね」と言うと、 「上のキッチンもちょっと見てよ」と言う。 それじゃあということで階段を上った。 素敵なシステムキッチンでボタンを押すと上から菜箸やら器具類やらがスーッと降りて来る。 シンクもこの頃では湯アカや水アカはつかないそうで、 私のように重曹やクレンザーでゴシゴシ、は時代遅れなのだそうだ。 まあまあ勉強になって、それでは、と階段を下りて来た。

 事はその階段の、あと1段という時に起こった。 階段は螺旋階段であった。あと1段と思って足を下ろしたのに実際には2段あったのだ。 螺旋のまわっているところが見えなかったと言えばそれまでだが、 全くの不意を食らって、ズラーッと体が滑った。 頭を打ってはいけない、足を傷つけても、と思ったのだが右手が体重をもろに支えることになった。 友のアレーッと言う声に「大丈夫だ」と答えて、 自分でもびっくりするくらいの元気で飛び起きて訪問の礼を言い、その足で病院へ走った。

 運良くというか、日曜日だったが当直医は前にもお世話になった、整形外科の先生であった。 見事に折れているという。入院をして手術をすすめられる。頭がガーンとなる。入院や手術は出来ない。今は駄目!

 2か月後に大正琴の発表会を控えていた。 1年間の生徒さん達の集大成としての、年1回の発表会なのだ。 ましてや初舞台の者もいて、非常に楽しみにしていた。 曲形にも指導者という立場で入院はできないのだ。 どうしたら良いのかと先生に問う。 まず、折れている骨をきちんと組ませて、ギプスで固める。 通院の都度レントゲンを撮って治療していく方法で、その後骨が接けばリハビリして、という説明である。 どの位の期間かと聞くと「まあギプスがとれても3か月以上はかかるでしょう」と言うのだ。 こうなったらまな板の鯉で、レントゲンを見ながら「こうはなりたくない」という程の太っている看護士さんと先生とで、 私の肩と手首とをひっぱって骨を接ぐため、すごい力を加える。 その痛いのなんのって、この私がギャアギャア泣いた。 これでヨーシと言い、ギブスで固定された時はまるで死んだようだった。 先生が「痛かったネエ。若い人でも泣くよ」 よく頑張ったと言われ、 三角布で首からギプスの腕を吊られた。とにかく3か月は駄目なのだ。

 その足で事務所へ寄り、発表会までのこまごました事項やレッスン等を相談した。 それよりも翌日、3か月の休会届をカーブスへ出さなければならなくなった事が、 これ程つらいとは思わなかった。白い三角布姿の私にスタッフの方はびっくりし、涙ぐんで下さった。 それ程毎日慣れ親しんだカーブスであった。 まるでごはんを食べるようにせっせと通って4年が過ぎていた。 いつも朝早い時間に通っていたので「今日はまだ来ない」と心配して下さっていた。3か月の休会は余儀なくされた。

 ギブスが外れ、リハビリに入った。 先生もびっくりする位の回復で折れていた手首の骨はちゃんと接いたという。 治りたい一心で、ひとくちにリハビリと言っても全く言うことを聞かぬ。 まず、腕を三角に曲げていたのでまっすぐ伸びない。 重いギプスを吊っていた首はコチコチ、リハビリのコーチがそろそろと伸ばしたり曲げたりさすったりするのだが、 あれっというくらい体が固まっている。 気をつけて歩いてはいたが腹筋も背筋も衰えて、手首の骨折なのにこれ程に体全部の機能が低下したのにはびっくりした。

 3か月経ってカーブスに復帰した。 病院では医師のカルテ指示がない限り、骨接での治療は終わったということでリハビリの指示はなかった。 町のマッサージ院に行くきりないそうだ。4年もの間、本当にありがたいことにカーブスでいろいろな事を学んだ。 まず筋力、筋肉の大切なこと。肩、腰、ひざなどの痛みは動かして治し、改善していくということ。 食事の大切さ、アンチエイジングが他の人のものだと思っていたけど、生活習慣でいくらでも作り出せるんだということ。 筋肉にいたっては30歳を過ぎると1年に1%ずつ減っていくという。 もともと筋肉体質で骨太の私、なんとしても筋肉と聞いただけで嫌で、ポチャッとした女らしい身体つきになりたかった。

 だがカーブスでは違った。年齢が上がると共に、脂肪を燃やす力が小さくなるという。 筋肉は脂肪を燃やす工場だと教わった。 時々のマガジンは表紙からウラ表紙まで、私のバイブルになった。 カーブス創業者のゲイリー・ヘブン氏が若くして亡くなられたお母様を思い、 生活習慣病の恐ろしさから運動習慣の大切さを女性に、と起業されたと聞きます。 壮絶とまでの私のトレーニングが始まりました。 全く気をつけなかった、体力、疲れ、姿勢、肌つや、体温、コレステロール、血圧、血糖値等、 全て良好。3か月後に復帰してマシンを正しく使った3か月間は1日も休まずに通った結果です。 出席日数日本一とスタッフの方が喜んでくれた。 そうでしょう。1日も休まなかったのだから今ではすっかり元の体に戻り、腕立て伏せもできるんですよ。 カードもゴールドになりました。