昔むかしのお話です。
戦国時代が終わり平和な江戸時代を迎え、各街道が整備されると、今で言うならホテルやレストラン、いわゆる「旅籠」や「峠の茶屋」が多く作られ、民衆も安全に旅を楽しめるようになりました。でも、馬やかごは値段が高く、庶民の移動手段はもっぱら徒歩が主流でした。
ひだる神とは、徒歩で峠などを越えようとした旅人が行き倒れ命を落としその魂が餓鬼となり、通り掛かった人に憑りつくという妖怪の名です。
ある小説には、おいしい物も教えてくれるちょっと可愛らしい妖怪として描かれています。

 ひだる神に憑りつかれると、突然脱力状態に陥り、ひどくなると震えを伴ってその場から動けなくなり、やがて死んでしまいます。
 対処方法はただ一つ、何か口に入れること。たった一口で良いそうです。米という字を掌に書いて飲むフリをしても効果があったとか。
 コンビニなどもちろんどこにもなかった時代、このひだる神への用心に、峠越えなどの朝、旅人は宿屋で必ず多目におにぎりを作ってもらったそうな。めでたしめでたし。

ひだる神は現代にもいます。いやいや、嘘ではありません。かく言う私が憑りつかれましたので。
初めてひだる神に面会したのは20代半ばの頃でした。お腹が空いたわけでもないのに仕事中に「えっ!えっ!なになに??」というほど突然ものすごいダルさが身体の中に湧き上がり、制服の袖の緑のラインが幾重にもぼやけてしまったを覚えています。

当時ひだる神対処はおろか、その存在に対しての知識は全く無かったのですが、本能的に「これはヤバイ!何か口にしなければ!」と、這うようにして売店に行き、三角サンドイッチを2口で飲み下しました。
 最初のひだる神様面会時は座っていたので助かったのですが、その後もたびたび出現し、立っていた時などは、倒れ込んで動けなくなってしまった事もありました。

 英語ではハンガーノックと言います。ハンガーはハングリー(空腹)の意で、急激な血糖値の下降に伴う症状です。「おなかが空き過ぎて気持ち悪くなる」。そうそう、それ、それです。今うなずいているアナタ。ひだる神様に会いましたね。なんとなーく経験あるなあ、という人も多いかと思います。

 唐突ですが、私は「ご飯派」です。好き嫌いはないのでパンしか無ければもちろんパンも食べますが、コース料理でどちらか選ぶ時は確実に大好きなライスをチョイスします。
 これは子供の時からで、どんなに遅刻しそうになっても、味噌汁をかけたネコマンマ状態で飲み込んででも、ご飯だけはたくさん食べて登校していました。
 大人になっても結婚しても、それは変わりませんでした。おかずはなんでも良かったのですが、3食ともご飯だけはてんこ盛り状態で食べていました。
ある日、遠慮なくお茶碗にご飯をがっつり盛りつけていた私に、夫がこんなことを口にしました。
「あのさあ、から揚げ大盛りよりも、どんぶりメシ大盛りの方がカロリーあるらしいぞ・・」
 夫の会社には社員食堂があり、メニューの横にカロリーが毎日記載されるそうです。ですので、彼はご飯のカロリーを知っていたわけです。ただ、その時の私はそれを信じることができませんでした。

"ご飯は日本のソウルフード、昔から日本人の生命維持の基本じゃん。だいいち私は脂っぽいおかずは食べないほうだし、甘いものは嫌いだし、晩酌するわけじゃなし・・"
つらつらと言い訳を探しては自分を誤魔化し、大好きな「白飯」を心ゆくまでぱくぱく食べていました。

 ご存じのように、ご飯やパンや麺類、いわゆる「糖質」は生きていく為には絶対に必要な栄養素です。ただ短時間で多量に摂取すると、当然急激に血糖値が上昇します。急激に上げ過ぎると、当然下降する時も急激に落ちる為、倦怠感に襲われ、いわゆる"ひだる神に憑りつかれて"しまいます。
今思えば、私は偏った糖質の摂り方をしては急下降する血糖値で前述のようなていたらくになり、そうか、私はごはんをたらふく食べないといけないのだ、私にはお腹の空くような形のダイエットは無理なんだ、と勝手に決めつけていました。

カーブスに入った頃、体重はマックス59㎏有りました。数年前までは、痩せていなくとも引き締まった身体を自負していた私ですが、ある団体の役員になり、副部長、部長を歴任し後輩に受け渡すまでの合計2年4カ月というもの、身体を動かす時間も取れず、車での移動・会議・宿泊時には必ず夜の懇親会と、運動不足に加えて恐るべきカロリーを詰め込んだ結果、ジーンズなどのウエストサイズは66センチ、上着はLサイズ、知らず知らずのうちに体の線が隠れるものを選ぶようになっていました。

 平成28年、大河ドラマが放映になりました。ドラマの効果で有名になった上田城桜祭りの日、観光客でごった返す上田城跡公園内をボランティアスタッフとして駆けずり回っていた私に、スタッフのAコーチから一本の電話が入りました。「ちえこさん、今日はカーブスに来られませんか?カーブスの食卓に興味あるって言ってましたよね。そろそろ締め切りですが、まだ空きがありますよ。参加しませんか?」
この一声が私の体を劇的に変えてくれたのです。

食卓レシピを貰って本格的に始まるまでの間に、何点か作って試してみました。無論ご飯も計ってみましたが、最初の一杯目、100gという"ごはん"の少なさに思わず絶叫。
「うわあぁ、少ねーーっ!こんなのネコのエサじゃん!!」
でもこの絶叫は、今までの己の甘さを己に言い聞かせた声でもありました。

ひだる神様はというと、やはり最初のうちはちょこちょこと姿を現しました。ただ、食卓メニューを続けていく内、徐々に出現回数が少なくなっていきました。
考えてみれば当たり前です。必要量ギリギリの糖質を摂り血糖値をおだやかに上げるので、当然血糖値の下がり方もゆるやかになり、更にひだる神様が苦情を言い出す前に三食きちんとゆっくり食べ、次の糖質を体に入れて、お供えして差し上げるのですから。

エクササイズは時間をやりくりして、朝。自分の体型に正直に向きあって、減らしたい部分の運動をユーチューブで捜しそれらを組み合わせて工夫し行いました。ただ、いきなりキツイのは無理なので、初日は腹筋10回、3日目に15回という具合です。これで食卓を始める前に57㎏に落ちました。

ただし、一人で行うダイエットは、だいたいこの辺りで挫折するのがお決まりのコースですよね。「やった!2㎏おちた!でもこんなにお腹が空くのはちょっとなあ・・・」うんうん、わかりますわかります!
私の場合、ここから「カーブスの食卓、本格的なスタート」だったのが幸いしました。

 食事制限がかなり辛くなり始めた頃、たまたまテレビでごはんに白滝を刻んで入れカロリーカットをするというあるタレントさんの料理を見て、ごはん好きとしてはすぐに、ホントに速攻取りいれさせていただきました。ありがとう!
通常カーブスの食卓は、一緒に取り組む仲間との情報交換も含まれますが、今思うともっと他の人の工夫を積極的に聞き、こんな自分の工夫も提示すれば良かったかなと思っています。でも、やはり結果的には個人戦、大げさに言えばダイエットとは自分との闘いなのでしょう。

 1か月が過ぎた最終ミーティングの日、最後の計測をしてもらいました。結果は初日から5㎏のダウン、52㎏になっていました。
 代謝が上がっているのを実感していたため、朝のエクササイズとレコーディング(記帳)はそのまま続けていきました。もう誰に報告するわけでもなく、体重を公開するわけでも無いのですが、この絶好のチャンスを逃すまいとしがみついたのです。さらにその後1カ月はほぼ毎日カーブスに通い、スタッフのありがた~い叱咤激励(例:リバウンドしたら皆で怒るよ、などなど)をお土産に持ちかえりました。

そして1年が経ち私の通うカーブス上田ユーメイト店で、新たな「食卓チャレンジャー」が募集されることになりました。
その時の店長曰く、「今年の募集ポスター作るんですが、チエコさんのビフォーアフター写真、貼ってもいいですか?」
 その頃には、バドミントンで鍛えていた高校生の頃の体重、48㎏になっていました。

 あれから2年が過ぎ、アホらしい話ですが、ガラスなどにうつる自分の姿にまだ慣れることができず、あの人細いなあ、おお、私か!と毎度々々びっくりします。夫も、後ろ姿がまるで知らない人が家にウロウロしているようだと、褒めたようなそうでもないような事を言ってくれます。

 でも最も嬉しかったのは、痩せた事よりも、食べてもリバウンドしないこと。今もたまにドカ食いもすれば、食事会や宴会もありますが。
 ただ、ですよ。毎朝の体重チェックとエクササイズ、そしてご飯は120グラム。これは現在も守っていますよ、はい。

 長野県はスキー大国なので、私もスキーをします。年齢と共に当然代謝は落ちるので、スキーを続ける体力を維持する為、昔から常にジム通いをしていました。
 前述のカロリー過多の2年4カ月後、カーブスに飛び込んですぐに感じたのは、本当に女性に合ったトレーニングだなあという事でした。まず全てが油圧マシンなので、その日の体調に合わせて動かす事ができる点。時間がなくても、スキマ時間で手軽にこなせる点。スポーツや筋トレに縁がない人でも違和感なく取りかかれる点。

 私は、今後もカーブスに『ずく(長野県の方言。やる気とかファイトの意)』を出して通い、"体中の筋肉を均等に動かし体脂肪を燃やし、筋肉を育て貯筋し、健康な身体を維持する"つもりです。もちろんマシンを一生懸命動かして汗をかけば、ストレスも発散できますし。めちゃくちゃいいことずくめではありませんか!

そして、手に入れた今の身体を頑張って維持し、若い頃から長いお付き合いをさせていただいた「ひだる神様」を見返してやりたいと思っています。どうだ参ったか、こんな私でもやりゃあできるんだぞと。
これからの人生の中で、まだまだやりたい事や叶えたい夢を、自分の手と足で掴み取っていく為に。