本日、四月五日は娘の誕生日。節目の誕生日という事で、職場でお弁当では、との親心?で、近くの、知人が責任者をしているお店で、母娘で美味しい物を。今日はいくらでも、とゴールドカードを手に、大船にでも乗った気分の私に、娘は、「今迄、四十年、お世話になりました。有難う。今日は、感謝の気持ちで私が支払いを」と。そう言えば四十年前、帝王切開の後、傷の付きが悪いと、暫く抗生物質を飲んだせいか、手術の具合のせいか、何年も体調が悪く、体を伸ばす事も、こごめる事もできず、姿勢の悪い状態で、静かに過ごす日々は、家族にも申し訳無く、自分も辛い日々。随分経った頃、周りから、運動を少しはした方が良いから、水泳ぐらいはしたら、との意見で、オープンしたばかりの、歩くプールは温泉で、消毒も弱いと聞き会員に。これで健康にと思って一生懸命に通っていた所、急に皮膚の痒みに襲われ酷い目に。又、軽くテニス等、少しでも運動系のものの後には、夜中に、お腹の中が、癒着のような初体験の痛みに、「もう少し痛くなったら救急車だ。でも、これって何科に行けばいいの?」不安を体験してからは、すっかり運動が遠退いた私に、娘が、「少し歩いた方が」と、夜道を一緒に歩く事に。耳あてに完全武装で、手に棒も。これでは痴漢も逃げるわ、と楽しく歩くも、翌日には、耳痛からめまいで耳鼻科へ。これが六十才。私は運動のできない体、と決めつけ、すっかりのんびりする頃には次の試練、膝痛が。こんな事ばかりではなくその中には楽しい日々も。三年前の六月、大好きな北海道へ娘と行った時、ホテルのテレビで、カーブスのコマーシャルが。娘は直ぐに電話で、東大宮店に予約。休みの少ない娘も、夏休みも有る七月、八月なら一緒に通えると思ったのか、促されるまま、二人で会員に。所が、このような器具を使うのに、何と私に、体を動かす日々がやって来たのです。親切な指導員の方々のもと、運動のできない体、と諦めていた私は、何が駄目でもカーブスなら、と人にも伝えるようになりました。カーブスに入会して一年が経った頃には、おりしも、急に都知事選が始まり、大きな声では言えないけれど、前都知事とは、同じ学校の同級生と知り、感心を持って、選挙を見守っていた時に、立候補の一人で、元癌患者だった男性が、「私は、今が一番健康です!」とアピールをしていましたが、この年で私も今、大きな声で言える事は、「私は今が一番健康です。」「今が一番元気。」