カーブスに入って、早や六年目になった。四月の十六日が過ぎると七年目に入る。
 印刷会社を退職した時は、ストレスのかたまりだった。
 体重は、52.5キロと走ると重たいと感じるほどでした。
 見た目は、まさしく年寄りそのものでした。
 顔も大きくぼってりと言う言葉がピッタリでした。
 そんな時、友達からカーブスに行ってるんだけど行ってみないかと言われ、反信反疑で行ってみました。
 これが私のカーブスとの出合いでした。
  いよいよカーブスに行く事に
この当時、二千十二年は、マシンがアメリカ人向けのものでした。
 仕事も清掃の仕事が決まり、自分の働らいたお金でカーブスに通よう事が出来るようになりました。
月曜日から金曜日迄は仕事をし、その後でカーブスに行く様になりました。
 入会して一ケ月目、スタイルをぬかした他の三項目で結果を出し三冠を達成。
何よりも本人が一番おどろきました。
 頑張れば、何とかなるんだと思った。
その後、しばらくして友達は退めた。
 でも、私はカーブスを信じる事にした。
 「カーブスを続けて良かった事」
 カーブスを続けて良かった事は沢山あります。
 肺活量、肺年齢が二十代。
体力も片足立ちに変化が見られた。
 右足は一回しか出来なかったのが、十回以上出来る様になった。
 怪我をした時も普通の人なら骨接する様な怪我がはれただけですんだ。
 整形外科の先生もびっくりしていました。
 先生言わく「何か運動をしている?」と聞かれ、自信まんまん(・・・・)で答えた事は「カーブスに行ってます。」と言えば、先生は続けなさいと言った。
 ここ一、二年お腹が痛くなり出血がひどい時もあり、二日ぐらい続けてカーブスを休んだりしましたが、少しでも体調が良い時は、顔色も良くないけど行っていました。
 まだ、完璧ではありませんが、出血する事もなくなり随分良くなりました。
 「カーブスの有難みがわかった時」
 体調があまり良くない時でもカーブスに来ると、メンバーさんと話したり、コーチ達と話していると、帰りは機嫌良く帰れました。
 体重も減り、くびれも出来、体力や筋力もつき、若返りも出来て言う事なしです。
 私は、痛みとかあって、少々具合いが悪るくても動けるし、歩るけるし、字も書けます。
 でも、私の友達の中には、そういった事が出来なくなってきた友達が三人ぐらいいます。
 いわゆる難病の友達です。
私に言わせれば、何是難病があんなに沢山有るのか?それが不思議でもあり、治療方法も今一、進んでいない。
文化や、文明が進んでいる世の中に何是進行を止める薬とかが開発されないのかが、すごく残念に思う。
 体力や、免疫力が落ち外出もおっくうになってきたと語っていた。
 そんな友達に今私達に何がしてやれるのだろうか?何も出来ないのが、悲しいです。
 そういった難病の友達にとって、今の私は元気な方の部類に入る様だ。
 だから、私にとってのカーブスは元気の源だと思います。
 自分に合っているのだと思います。
口で言われてもわかりにくいと思いますが、体験して見るとその良さがわかります。
 あんなにワイドだった私だって変れたのですから。
 十年の人も、その途中の私達も、カーブスの効果に共鳴しているからではないでしょうか?
 まづは、体験から。