それは昨年十月下旬の雨の夜でした。用を済ませた帰りに駅の上り階段で手荷物を持ち替えようとした瞬間、濡れた靴が滑ってバランスを崩してしまい二十数段ころがり落ちたのです。
 激しい痛みで倒れたまま身動きもできず、救急病院に運ばれました。
  レントゲン検査で骨盤の骨折だが折れた所から出血していないので、厄介な腰部切開手術をしないで一カ月ほどで自然治癒の見込みである、と診断されてひとまずはほっとしました。
  ところがどうしたことか入院から四日目に尿路感染で血管から細菌が入ったそうで、敗血症になり熱が高く呼吸困難で息苦しくて、やがて意識もうろうになって危篤状態になってしまいました。
  今年五月に八十四歳を迎える私には生まれて初めてのことです。
  後になって家族から聞きましたが、当日の深夜に病院から電話があり、いつどうなるかわからない重篤な症状なので至急来院するようにとのこと。驚いた家族が駆けつけて一睡もせずに徹夜で見守ってくれました。
  その頃、死線をさまよっていた私は不思議な幻覚を体験したのです。
  天井に多くの花々がくるくる回り下にはあたり一面にお経の文字が大きく書かれていて、はるか以前に亡くなった母が現れどこかへ出かける支度をしていました。私は身動きせず何とも穏やかな気持ちでじっと見ているだけでした。
  翌朝ようやく意識が戻り、見守っていた孫に昨夜の病室の様子を聴いたところ「何も見えなかったし、看護師さんが何度も来て脈搏を診たり点滴を取替えたり酸素濃度調整したりしてくれただけだよ。」と、どうしてそんなことを聴くのだろうと言いたそうな顔をしていました。私は昨夜の幻覚が臨死体験というものかなと思いました。
  退院までの三ヵ月半の間には辛いことが多かったが嬉しかったことも学ぶことも沢山ありました。それらの中から私なりに思ったことや感じたことを書きます。
  「辛かったこと」
  ・痛みが絶えない。
  ・寝返りが打てない。
  ・三ヵ月もの長い間入浴できない。
  ・歯磨きできない。
  ・水飲み場やトイレに自力で行けないしナースコールしてもなかなかすぐには来てもらえない。
 このように、これまでは自分だけで全部できた至極あたりまえの日常生活がどれほど有難い日々だったかを今更ながらしみじみと身に泌みて思うようになりました。
「嬉しかったこと」
 ・カーブス港南台店の先生方が大きな紙に寄せ書きして下さった心温まるメッセージに嬉し涙を流して何度も読み返した。
 ・妹達や友人が遠方から足しげく見舞に来てくれた。
 ・食欲不振が続いていたある日、看護師さんがおかゆの上にチューブ入りの鯛味噲でニコニコマークを書いてくれた心配り。
 ・個室から外が見えない四人部屋に移された日に孫が青空や夕焼け雲などと変化に富んだ美しい空の写真集を買ってくれた。
 ・来院した家族の全員が両足のマッサージを長時間続けてくれた。
以上の通りの長い長い入院生活でしたからその間に下半身の筋力は弱りきっていたのですが、その体が素晴らしい威力を発揮して周りの人達を驚かせたのはカーブス港南台店のおかげです。五年間通っていたからです。
 酸素吸入の際、日頃から有酸素運動をしている人は何もしていない人よりも効率良く酸素を体内に取り込むことができるそうで、内科の先生から「あの危篤からこんなに早く回復できるとは思いもよらなかったし、高齢の人であなたのような方を私は存じません。若い頃に何か運動していたでしょう」と問われて「何もしていませんが最近迄の五年間カーブスで運動を続けていました」と答えたら驚いていらっしゃいましたし、症状が良化してリハビリ病院に移っても理学療法師の皆様から運動している体ですねと言われ、「カーブスに楽しく通っていました」と答えると、それですよ動きの反応が速いし体が柔軟なのもカーブスのおかげですねと私とカーブスを誉めていただきとても嬉しくなりました。
 カーブスへの感謝の思いは、つたない文でいくら書いても到底書き尽くせません。
 五カ月間のブランクはありましたが三月から復帰してカーブスカレンダー三月の継続は力なりを教訓に今後も体力の許す限り通い続けていつ迄も元気で楽しく過ごしたいと思うのでどうぞよろしくご指導下さい。