愛犬リリは豆柴の十四歳です。夫がペットショップで買って来ました。この地に家を建てて四十五年、長女の小学校入学を期に家を建てました。六歳の長女、四歳の長男、次女は二歳でした。M工業地帯がどんどん成長を続けている頃で我家の裏山はKハイツという団地で三、四百軒の住宅がすでに出来上っていました。
 近頃は愛犬リリが高齢となり更に年末頃から靭帯損傷のため三本足で歩くようになり、すっかり散歩を拒むようになりました。私の唯一の健康法は愛犬リリとの散歩で毎日速歩きで六千歩ぐらいは歩いていました。一月になって資源ゴミの当番の時、隣家のCさんにカーブス入会をすすめられました。筋トレ?何のことか知らなかったのです。しかしイスから立ち上る時、片足で立つことが出来ずもしかするとこれが筋肉の衰えかと気付きました。実は私は子供の頃から体育が苦手でした。強いて言えばボール投げが特に下手でした。しかし跳び箱やマット運動は好きでした。鉄棒は小学一年の時、休み時間に前回りをしようとして早く手を離してしまったためか地面に落ちてしまいそれ以来出来ないままです。
 ゴミ当番の日にCさんにすすめられたことは私にとって渡りに舟でした。一月の第二金曜日の朝カーブス入会の決心、間髪を入れず火曜日には一日体験となり、火木土と週三日通い、すでに二か月半経過しました。若い頃から肩凝りに困っていたものの近頃は効果が現われ始めたようです。いつだったか私と同じように肩凝りに困っている長男、この長男は仕事帰りに温泉付きとかのマッサージに行っているようで、病気知らずの私が長男に何もしないのに肩が凝ると言うと「何もしないから肩が凝るんだよ」と助言してくれたものです。ちなみに夫は肩凝りを知らないらしく私が肩揉みしてあげると言って、私はこの筋が凝ると言ってみたものの太めの身体では筋が手に当たらず肩揉みされたら気持悪いと言う程でした。夫は男六人女一人の五男として生れ、父も母も教師だったため山林一町歩田畑一町歩もある家で育ったため子供の頃から農作業の手伝いを一人前にし、田植稲刈りは勿論のこと長期の休みは山林の下草刈りを毎日半日手伝ったと言います。道理で踏まれても踏まれても逞しく生きていく雑草のような体になったようで、今年の秋には八十歳になろうかという高齢にもかかわらず定年後の今も仕事を続けています。私はと言えば今月八日には後期高齢者になるにもかかわらず、月火木と週三日夫のお弁当作りという役を担っています。
 カーブス通いは今や日常生活の一部となり朝の片づけ掃除洗濯更にふとん干しも済ませシャンプー風呂洗いが終ると正午の時報と共に、亡き父の残してくれた車にエンジンをかけ、ゆめタウンの二階にあるカーブスへは十分程で到着です。一時にはカーブスを背にして目の前のエスカレーターで一階に降り、牛乳ヨーグルトフルーツと買物をし、昼食用に焼きたてパンを買い、いつも通り二時に昼食を始めるという決まりを自分で作っています。牛乳を飲むと腸の調子が悪くなり、料理には使っても飲み物としては何十年も口にしてなくて乳製品の変りはチーズで摂取していました。筋肉にある程度の蛋白質が必要だと知り、牛乳一本とヨーグルトと一日一個だった卵を一日二個の摂取で目標の数値に限りなく近づくことが分かりました。何故かサプリメントを飲んでみても薬を飲んでも腸の調子が悪くなり牛乳もそのうちの一つでした。そういう時は整腸剤を飲み何とか毎日欠かさず昼食か夕食の時飲むという習慣になってしまいました。
 車の免許は次女の生まれる前に、長女と長男をおんぶに抱っこという調子で教習所通いをしました。車の知識もない三十歳前の子連れ主婦でした。仮免の試験を受けた時若いお兄ちゃんが私の前でした。上手な彼の運転に比べて自分の下手さにびっくりしたものです。彼の運転は一旦停止で右、左ときっちり首を動かして確認する。私に至っては目だけ動かして左右の確認をする。アクセルを踏んでいるのに前進しない、何でと思えば隣で教官がブレーキを踏んでいる。ペーパー試験は毎日十回ずつテキストを読みそれが功を奏したのか一回でパスしたものです。教官にあの仮免の時のお兄ちゃんのように上手になりたいと言うと、下手な方が事故を起こさないから大丈夫と慰めてもらったものです。以来四十六歳になる次女の生まれる前から必要に迫られて始めた車の運転は五十年近くになりました。今年高齢者講習を受け、再びゴールド免許を手にし、後三年はハンドルを握ることが可能です。高齢者講習の日は私より二歳上の毎日仕事で運転しているという婦人と私の二人きりでした。二人共視力が大変良いし、一時間講習で成績も良いからまだまだ運転出来ますよと言われたのですが、私は三年後の次回は返納しようかと考え中です。平成十五年三月から夫が車を買い与えてくれ親の世話に行くようにと背中を押してくれました。M市にある実家の寺へ通い始めました。それ以前二十数年前からは二号線バイパスを利用して長女の住むO市に、男孫のHと女孫のMの世話に週三回通っていました。自宅を出て東へ車を走らせ、小学校の学童保育へ孫を迎えに行きスポーツクラブへ二人を連れて行きます。Hの水泳、Mの体操と交互に見学して孫二人を家に届けるという役割でした。約五十年間運転免許には望外の世話になりました。三年後を目標に運転無しのモードに持って行き免許返納し、運転経暦証明書を有難く頂き生涯身分証明書にしようと思っています。そうなるとカーブス通いの足をどうするかが課題です。三キロ余りの道のり運動替わりに歩いてみようか、二十数年乗ってなかった自転車に乗ってみようか、時々はタクシーを利用しても良いかなと考え中です、結論を出す迄には三年間のモラトリアム。
 愛犬リリは庭で放し飼いにしているため自由気ままに三ヶ所ある寝床を使い分けして居心地の良い場所を選んでいました。主に裏庭の勝手口の外で寝ていたのですが、弱って来た今年は、昼寝場所のみに使っていたサンルームに勝手に引っ越して来て終日ここで気持良さそうに眠ってばかりです。ここは珈琲の木の鉢を入れているためエアコンをつけ真冬の夜中は暖房を入れます。四十何年も前に花屋で買って来た観葉植物の苗木がどんどん成長し更に種から子や孫の木まで育って二十年前ぐらいからは白い花を咲かせ赤い簪のような実を付けています。孫二人がまだ保育園児の頃、赤い実を収穫してくれたので二つの豆が抱き合っている白っぽい実を取り出し洗って炮烙で焙煎し、コーヒーミルで轢き、フィルターで越してみると香りの良いまろやかな味の珈琲になりました。このサンルームで老犬になったリリは終日どんな夢をみているのか気持良さそうに眠っています。