母さん母さん待って居て、もうすぐに着ける筈よ、父さん、今さら、私を おぶってくれるの?うれしいなあ、あなたは あの厚い胸の中に、もう一度、私を抱いてくれるの?好きでした。あったかくて、柔らかで みんなみんな 待っていてくれるのね 私を忘れないでいてくれるのね ありがとう。

 スゥーと一筋、冷たいものが頬をすべった。
 夢であった。いつもいつもそう思ったりして、思い出しては、せつなくなって、一人きりの夜を、何度となく過した私だったから。

 漱石さんではないけれど、生れながらのがむしゃらのところがあって、父親なんぞはどうして、女の子に産れたのだろうと、ずい分と心配もしたそうで、走りっこだって 近所のワンパク共には 引けを取らなかったしとにかく体の丈夫さは、髙校卒業迄は、精勤であった。皆勤でなかったのは、家を出る時に、すぐ下の弟を、いつもいじめていた 二才上のガキ大将が、近くに待っていると、弟が泣くものだから、じゃあ、私が話をつけてやると、二、三人のワンパクに囲まれて、ガヤガヤしているところに乗りこんで、私の弟を、いじめないでくれというと、その大将がのそっと出てきて、うるせえなという、なんだ、ガス屋のカっちゃんで 鼻水を拭いた線が、顔に引かれておかしくって 私がククッと笑うと、又それが気に障ったのか、おめえの弟が、すぐ姉ちゃんに姉ちゃんにというから気に入らないという。そんなで、弟の頭をこつこつたたいたのか、バカかお前は!私も弟をかわいがったが 弟も四六時中、私を追いかけて、本当に、お前達は仲がいいねえと、母は口ぐせであった。なんだ嫉妬か、そんなことで、体の小さな弟を、こつこつたたくなんて、まったくガキ大将の端にもおけない。自分にだって、私より一才年上の、姉さんがいるじゃないか、今流行の、フレヤーのひらひらしたスカートに、学生のくせして、きれいに化粧している姉さんが。そう思ってカッちゃんに言うと ぐっと口を閉じて だって、だってという。様するに、私達のように、どこへでも連れ歩く二人、いや姉さんではなかったということか それがわかって、次の学校の休みに、荒川へメダカを取りに行くけど、一緒に来るかと聞くと、行く行く!絶対に行く!と、その他三人を加えて、金のバケツだの日本手ぬぐいだの、水筒だの、麦ワラボウシだのと決め事をして一件落着。
 弟のことはそれで済んだが、学校に、二十分も遅れて、廊下に立たされた。その後 弟のことは、ネーちゃん家のマーちゃんと呼ぶようになって、学校に行く時も、一緒に連れて行くようになった。そんな訳で、男のガキ大将にも、無鉄砲に向って行ったという話は、父親の耳に届くことになる。あまり裕福ではなかったけれど、両親は、最大限の育て方で私を育ててくれた。雨の降る日、やっと買ってもらったズック靴を、濡らすのがいやで、カバンにしまい、裸足で、ビシヤビシヤ走って家に帰った。ズブ濡れで、母は、すぐに湯を沸かして、体をあたためてくれたが 冷えきった体も、翌日には、朝の母の手伝いをして、学校に一番乗り、そんな元気者だったのだ。

 そんな私が、言うに言われぬ体調を崩す。
とうに七十才を越えているので、体の管理には気を使った。元来、体はこのうえなく丈夫で、俗にいう筋肉質であった。スポーツも好きで、髙校時代は 大会新などと、二回も取れたのに、半年後に、後輩が、アッサリと追い越した。アキレス腱を切った時、子供を産んだ時と、床に臥せた事など、これ以外にトンとうかんではこなかった。
 筋肉質といわれるのは嫌だった。元来女はファッとして もちもちで 抱きしめればやさしくてとそう思っていた。がっちりとか、固い体とか、凄いね筋肉がなどと、私には言って欲しくなかったのだ。

 暮からちょっと生活のリズムが狂った。少し趣味の域を越えたイベントに、風邪をひいたようだ。薬を飲む 声が出ない、体がだるい?下を向いているのにつまずくとヒヤリとする。家の階段が怖くって、第一に上るのが億劫だ。歩く幅が狭くなったかな えっ、これってどういうことだ!医者に相談、疲れでしょうなどといって、風邪の薬やらその他を処方してもらう、食欲もなく、当然 お腹の調子も本当でなく 体が寒くって、ストーブを抱くようであった。当然 カーブスを休む羽目になった。床から起きられぬ日が続いた。足の筋肉も、腕の筋肉も、おしりの筋肉も、アレッというくらい落ちて 皮が波打つようにゆらいだ。床の上で、一歩を出すのに、こんなに力がいるなんて・・・・・・
 何気ない毎日の、何気なく過して来たカーブスとの日々が、どれ程大切であったか思い知った日々であった。おかげさま、今は元気になり、少しづつですが カーブスでのトレーニングも、ペースを戻しつつあります。
 前記したことは、熱でうつらうつらした時に見た夢です。いつもの私だと、まだまだ呼ぶな、なんて言っているのに、人間って気弱になると、こんな風になってしまうんだとつくづく思いました。そして、どれ程の日数をカーブスと過して来て その毎日の、それこそ、日課であり生きる糧となっているカーブスを思う時、もう私の一部分だと思ってます。筋肉質と云われることが恥だなんて、とんでもなかったのですね。昨年のマガジンに、私の好きな衛藤先生が 明日への金言のページに、悩みは人生の宿題だと書いて下さり、加点で過せば 日々がもっと充実していくと書かれてました。毎日が平気でも、嫌な事があっても、マイナスでなく足りていることを喜ぶ器量を持ちなさいというのです。
 又、元に戻りつつ 筋肉のゲッソリと落ちた私が、カーブスへ復帰できました。
 筋肉は脂肪を燃やす工場。筋トレやめると年齢とともに筋肉が落ち、たるんだり、お腹が出る。又、続ければ、筋肉がコルセットのかわりをして、関節の痛みをやわらげ、筋トレしないと、行きつく先は寝たきりになるかもとも。痛いときこそ動かすのが大事、痛みを感じにくくなるのだそうです。最後のストレッチの時に、目の前に貼ってある説明書きを、それ程真剣に読んだでしょうか。長年のカーブスへの通所が、あるいはマンネリ化でそれでも行かないよりは行った方がいい。会員の中にはそういう方もいます。しかし、今回の病で、筋肉のありがたさを、あらためて思い知った気がします。どんな論文よりも、又どんな美容食よりも カーブスでのトレーニングと書物は、私の無二の財産です。七十代にして、三十代の体力年令に、又戻りたくて。