変わったこと、それは週3回汗をかく運動をするようになったことでしょう。それまでの私は運動などしていませんでした。もちろん運動の必要性はきちんと理解し、患者様にも奨めていました。そう、私は医者なのです。医者は簡単に「運動しなさい。食事に気をつけなさい。」と言います。しかし、言うは易く行うは難し。そのことは私がよく知っています。でも素知らぬ顔で言い続けます。「運動しなさい。食事に気をつけなさい。」

 

 もともと食事は何でも美味しく食べられるし、好き嫌いもほとんどありません。運動はしません。丸ぽちゃだが、肥満というほどではありませんでした。しかし、中年を過ぎてからは好きなように食べていると体重は徐々に増加傾向に。これはマズイと普段の夕食に揚げ物は作らないと決めて少し頑張っていた頃、カーブスに出会いました。

 

 2006年11月、友人が福井で初めてカーブスを立ち上げました。お付き合いで入会。昼休みに週2回なら可能かと始めました。実際、週2回なら通えました。当初は30秒がとても長く、後半の15秒は特に長く感じました。ストレッチをしても、「え、こんなに硬くなってた!」久しぶりの汗に、「ああ、運動で汗をかくのは久しぶりだわ」と妙に感動したものです。
 

 そのうちに「週3回頑張ってみましょう」というキャンペーンがあり、やってみたら週3回通えることがわかりました。それ以来、週3回通っています。曜日を決めて通うことは無理なので、予定表の隙間時間に通っています。2回しか行けなかったら翌週4回隙間時間を見つけることにして。

 

 ここに入会時からの計測データのグラフがあります。今回、初めてグラフを作ってみました。これを見ているといろいろなことが思い出されます。

 

 最初の数ヶ月で体重・バスト・ウエストが減り、ブラやGパンを買い換えなければならなりませんでした。うれしい出費でニコニコ。その頃はカーブスに通っているのは家族に内緒だったので、ひとりでニンマリ。人間ドックのアンケートに堂々と「運動している」と答えられる嬉しさ。

 

 次の1年半はデータは安定しています。しかしこの間は在宅酸素療法になった母を引き取り自宅で介護していた時期で、私としては一杯一杯でした。食事の進まない母のために、少量ながら一汁三菜の食事を3食定刻に(出かけるときはその前に)準備しました。早朝に出かけなければならないときなど、ほとんど睡眠時間も取れないまま、母の朝食と昼食を用意したのに、帰ってみたらトマト1切れしか食べておらず「食べられなかったの」ということも。「ありがとう、すまない、ゴメン」というより、「もう1口食べてくれ!」。この時期の私を救ってくれたのは、カーブスだったかも知れません。何が何でも週3回通いました。ワークアウトで汗をかくことは心の安定にも良いことです。母のための食事でしたが、必然的に自分もバランスの取れた3食を、食べ過ぎることなく定刻に食べることになり、この時期のデータは安定したものとなりました。運動と食事の大切さを教えてくれるデータです。今振り返ってみてつくづく実感しています。

 

 次の1年は体重・体脂肪率が増えています。母が亡くなり気が緩んだのでしょう。食事のバランスも悪くなりました。なによりも夕食の時間がとても遅くなってしまいました。主人の帰宅が遅いのです。母の介護中は極力お断りしていた飲み会も皆出席しました。娘夫婦が近所に越してきて、ケーキ持参で食事に来るようになりました。おっと、他人のせいにしてしまってはいけません。自分の口に食べ物を運んだのは自分なのですから。

 

 さて、最後の1年は少し反省して、食事に気をつけているというところでしょうか。でもまだまだ、体重や体脂肪率が凸凹しています。私が気をつけるべきは、食事なのだということがこのグラフでよくわかりました。

 

 カーブスの良いところ、それは「カーブスのドアを開けたら必ず30分運動してしまう」というところでしょう。隙間時間を見つけていつでも行けます。おかげで私は週3回汗をかく運動をするようになりました。親しい友人を見つけたら、離れた場所からワークアウトを開始する(おしゃべりしない)。ステップボードに乗ったら、水を飲みながら、1周する間に脈拍数をグリーンにする。ストレッチをゆっくりやる。これで汗をかけます。冷や汗でない健康な汗をかけるようになりました。

 

 「高齢者」というと響きはあまり良くないかも知れませんが、齢を重ねれば皆必ず「高齢者」です。私もじきに「高齢者」の仲間入りです。でも「元気な高齢者」目指しています。カラダ年齢を現状維持するには、運動は欠かせません。私にはカーブスです。ちょうど良い時期にカーブスに巡り会いました。ありがとう、そしてこれからもよろしく。