「お母さん、これからカーブス?」私が出かける支度をしているのを見て娘が声をかける。
 「今日は日曜日よ。カーブスはお休み。」
 「ふーん、お母さんが出かける所は仕事かカーブスだからさー。」
 「失礼しちゃう、私だって他にでかける所は、ありますよー。」
 「ふふふふ。」と娘が笑う。

 

 大学生の娘との2人の生活は両親が亡くなってからもう6年になる。
 私が離婚した15年前には、家に脳こうそくで寝たきりの祖母がいて、母が介護しそして母を助ける父もいた。娘と住らす毎日は、同居していた両親の協力もあり、私は安心して仕事ができた。仕事に一生懸命のあまり私は、健康という自信だけで重い生理痛を「我慢」で、耐えた。
 生理の時は、貧血になったり汗の出る程の腹痛で動けなくなる事もあったが、市販の薬で治した。しばらくすると痛みは毎月こなくなり、私は生理痛を忘れた。
 「お腹出てきたな―。」中年太りか、仕方がないか、ダイエットしなくちゃとズボンをはく度思い、ぽっこりお腹が目立ってきた40才の頃、今までずっと頼りにしていた父が、大腸ガンになり進行していた。入退院を繰り返す。毎日、暑い夏に父の病院に通っていた母が「だるい。」と言い検査を受け、今度は母も入院となってしまった。
 「胆のうが見えない。」と言う医師の診断。最悪な事は考えなかった。考えたくなかった。が、母の手術は手の施しようもなく余命数ヵ月と告げられた。
 どうして、こんな事あっていいの?神様はいるの?何度も思った。
 祖母を17年間、自宅介護しようやくこれから父も母も旅行や好きな事がのんびりできると思っていた矢先の事だ。
 父が亡くなり、その10ヵ月後母も逝ってしまった。私は抜け殻となった。毎日ボーっと家にいた。こんな私に娘は「お母さん、そろそろ引き込もりはやめて仕事すれば。」と言った。45才の私、再び社会に出て行くのはとても勇気がいる。でもこれから先ずっと家にいられるの?そう自分に問いた。

 

 運良く仕事が見つかった。環境が変わったせいか、再び生理前にはだるくなり疲れ、夜にはむくんだ。まだそれが筋腫のせいだとは気にもしなかったが、突然朝私は、ベットから起き上がれなくなってしまった。〝おかしい〟必死に起き上がり立ち、ゆっくり歩けたが、ストッキングをはこうとしたら身体が曲がらない...いつまでも痛みは続き普通に歩けな、昔の記憶と最近生理時に体重が増える事が気にかかり、婦人科の受診をした。先生は「すぐに紹介状を書くから入院して手術をしなさい。」と言った。子宮筋腫だった。MRIの画像では筋腫が数十個もあり、小玉スイカくらいの大きさだと言う。卵巣のう腫もあり卵巣も手術しなくてはいけない。先生は筋腫は約3㎏で4ヵ月間、月1回のホルモン注射が必要だと説明した。
 「こんなに大きくなるまで良く育てたね。お母さん物持ちいいよね。」と娘に笑われた。
 今になれば、早く受診すれば良かった、とお腹の傷を見るたび思う。
 

 仕事場ではダイエットの話題が良く出る。「私の家の近くにカーブスができたのよ。」と教えてもらったのが、私とカーブスの出会いだ。その前にもTVのダイエット番組でカーブスを見ていた。
 ストレス発散できる、そしてやせられれば一石二鳥だ。

 

 かれこれ2年過ぎた。
 朝オープン前には、ドアの前に並びおしゃべりしているメンバーの方々がいる、私の母くらいかしらと思う。皆さんお元気で明るい。行動的だった母を誘ったら、多分親子で通っていたと思うと、母がいないのがとても残念だ。
 スタッフの方は明るいしとても名前を覚えるのが早い。何かコツがあるのかと感心してしまう。いつも元気に声をかけてくれて元気をもらう。「わからないマシンがありますか?」メモを取り親切、丁寧に指導してくれる。この前は  「ロコモ」の話を聞いた。「ロコモティブシンドローム」というらしい「メタボ」よりもなる確率が高いと言う。今の私は、歩くのも運動も大好きで健康を実感している。

 

 母の好きだった言葉「蒔かぬ種は生えぬ」がある。何かを得ようとするならそれないりの努力が必要という。
 私はいつまでも元気でいられる様に「カーブス」という種を蒔く。「ロコモ」になって、娘のお世話にならない様に、そして大好きな旅行ができて笑顔でいられる様に。私は周囲の人にいつも支えられている、離婚の時、両親が亡くなった時「神様は乗り越えられない試練は与えないのよ。」と力づけてくれた。
 昨日よりも今日、今日いやな事があっても明日はもっと良い日だと前向きに考えられる様になった。頑張ろう!!