現在私はベーカリーで仕事をしています。仕事ができる様になったのは、10年ぶりです。10年前、病院のレストランでパートをして働いていました。
 ある日、突然膝が痛くなり、立っているのも辛くなったので、数日間休んで又仕事をしようとしていました。・・・が、とても痛みが取れなかったので仕事を辞めることになりました。
 最後に仕事先から慰安旅行に行くことになり少し心配しましたが、参加することにしました。それからが大変でした。
 6月の鎌倉に行ったんですが、銭洗弁天まで歩いて行くことになり、私の膝はまるで雑巾を絞られた様に、ギリギリと痛くなってきて、もう一歩も歩けなくなり、「これ以上無理なので先に行って下さい。」と言って私は元来た場所まで帰る決心をしましたが、帰るということは、また来た道を歩いていかなければならないということです。
 もう一歩も歩けない状態なのに、心の中では誰か担架でも何でもよいから運んでいってほしいと思ったくらいに、経験したことがないほどの痛みでした。
ちぎれるほど痛い膝をひきずり、一歩、一歩また一歩とまるでヨチヨチ歩きの子供の様な歩き方で長い時間がかかりました。
 

最初、2~3カ月家でのんびりしていれば痛みは取れて、仕事もできるだろうと思っていました。
 1年経っても2年過ぎても、5年、10年、なんと10年過ぎても良くならずに、むしろ痛い所 が右膝だけでなく、腰、右足のもも、足の裏と、痛みからしびれに変わっていきました。
 10年間の間、最初は整形外科に行き「じゃあ前に手をつけてください。」と言われ、私はすぐに両手が床についたので、先生は「大丈夫です、何ともないですよ。」と言われました。「先生、でもすごく右足一本が痛いんです。」と言えば、「じゃあ湿布でも出しておきます。」と言って診察は終わりました。
 友達に、「接骨院がいいよ。」と言われれば、接骨院に毎日2年も通いました。
何年も通い良くならないと、次の接骨院へ、又次の接骨院と、取りつかれたように車を走らせていました。
 結果、何の変化も無く、もしかしたらと思いお灸もやってみましたが、だめでした。
もうこれ以上どこに行っても痛みは取れず、無理かなと思い始め、あまり動かずに家でゴロゴロしていました。動かないものだから体はどんどん悪くなっていき、歩き方は肩を左右に振り、右足はひきずるように歩いていました。右足を出して以前のように歩こうと思っているのになぜか右足が左足より長くて一歩を出そうとしているのに、半円を描いているようにぐるっと回してずってしまうんです。
 ある時、その姿をウインドー越しに見た時、愕然としました。
 「これが私?私の姿なんだ!」
 とても人に見られたくなく、恥ずかしくて買い物は夕方の人がいない時間を狙って隠れるように行っていました。それに重たい物は持てないので、サラダ油が特売になっていても買って帰ることもできませんでした。
「こんな体になってしまって、私はこれから先どうなってしまうんだろう?」と漠然と考えるようになりました。
 その時の体の状態は、歩くということが苦痛で歩けない、電車は座席が空いてないと乗れない、夕食の片づけをしようと思っても、2回くらい横になって休まないとできない。
 それを見て主人は「やる気が無いからだ。」とか「だらだらして。」とかよく言われました。
 確かに、姿を見てれば元気そうに喋り、だらだら怠けているように見えるのかもしれません。
 自分は仕事もできない、まして家のこともしっかりできない、その上痛みは酷くなるばかりで、毎日、何に向かって行ったらよいのか分からなくなってきていました。
 「とにかくこの痛みは何が原因なのか?」
 「どこからきているのか?」と考え、数年ぶりに又違う整形外科に行ったら、「座骨神経痛かもしれないから。」と言われ、MRIの検査をすることになりました。
結果、異状なしで座骨神経痛ではないことが分かり、ほっとしましたが、じゃあどうしたらいいのか自分なりに考え、まあ痛いけど公園に行って歩くことから始めました。
公園の1周が1.5キロで3周をして帰りました。公園にはジョギングをしている人がいるので気にならずに続けていました。
 

こうしているうちに主人の転勤が決まり、岡崎に帰ってくることになり、10数年ぶりに我家に戻ってくることになりました。リハビリのために犬を飼い、家でぶらぶらとしていました。
 ある日、庭で花の手入れをしていたら、隣のSさんが「鈴木さん、フィットネスに来ない?」と誘ってくれました。私は内心、「こんな体でフィットネスなんてとんでもない」と思って返事をにごしていました。
 そして又1週間くらい過ぎた頃、Sさんが「今度の土曜にどう、行かない?」と再度誘って頂いたので、「まあ1度行ってみてだめなら断ればいいか」くらいに思っていました。自転車で行ったんですが、佐藤さんに付いて行くのが大変で必死でペダルをこいでいました。中に入ったらすごく明るい雰囲気で、外の眺めもよく、帰りには入会の手続きしていました。
 それから半年が過ぎた頃、なんだか腰の痛みが取れたような気がしてきました。
入会時には「何か目標はありますか?」と聞かれたので、①腰の痛みを取りたい。②欲を言えば仕事ができたらいいナ。③友達にカーブスを紹介したい。と書きました。
そして1年もしないうちに全部①~③が叶いました。
 朝は痛みがなく起きれるようになりました。
 仕事も、それも立ち仕事ができるようにもなりました。痛みのない生活が今、ここにあるなんて、信じられません。
 まるで魔法をかけてくれたみたいです。
 

10年間、痛みと治療費に明け暮れ、こんな日が待っていてくれるなんて、カーブスに誘って頂いたSさんにお礼を言ったらすごく喜んでくださいました。友達は、「今日もカーブスに行くの?」と聞きます。私は「今日も、明日も行かないと、又あの痛みが襲ってきそうで、行かないと不安だから。」と言います。
カーブスが私を変えてくれました。
 元気になり、人に感謝、物に感謝する様になりました。そして家族にも優しくなれました。痛みがあった時には卑屈になり、楽しいことはなく、下ばかり向いて、心から笑えませんでした。
 今、仕事ができ、友達ができ、とっても楽しいです。10年前の私と今の私、まるで生まれ変わったみたいです。
 カーブスに入って変化したことを書いて下さいと言われ、書きだしたら、24項目にもなりました。腰痛、膝痛、肩こり、便秘などなど、全部良くなりました。最近では骨密度が、2年前は105、1年前は108、現在137になり又々びっくりしています。カーブスに入会していなかったらと思うと、どんな生活をしていたんだろうと思います。
そして、岡崎柱店に入り、楽しいお友達がいっぱいできました。カーブスでこんなに良くなったことを知ってもらいたいです。
 今、私にとってカーブスは一番の支えです。これからもずっと続けて行けたらと思います。

 

<追伸>
 あの悪夢のような鎌倉の銭洗弁天に、友達と10年ぶりに行って来ました。
自分の足で銭洗い弁天にたどり着いた時、何とも言えない気持ちでした。忘れたものをとり戻しに行った気分でした。
 おみくじを引いたら大吉でした。
 今でもそのおみくじを大切にしています。
 年をとっても筋肉がつくんだと感心しました。同じ様な痛みで苦しんでいる人がいたら、カーブスに入会して元気になってほしいです。