私は今ここに、カーブスに通う為、自転車を軽く踏み出すことの出来る自分、そして通うことについても、何のこだわりも無いことに感謝している。
私六十八歳、カーブス歴は一年半。一才になったばかりの孫もいる四人の孫達のバーバをやってます。それに、壁のいもり、いや未亡人となって、もう二十年なのです。四十九才の夫が、ある日突然、三人の子を残して逝きました。春の桜の時でした。短大の入学式に行った娘が、夕方帰るや、朝は元気に、気をつけて行くんだぞと見送ってくれた父親の入学式の為に、買ってくれた赤いブレザーが形見となってしまい、それをだきしめて、ずっと泣いていました。もう二十年過ったのです。私は、カーブスに通っての体験談を書くことで、このことは、どうしても避けることの出来ないことなので綴ります。冒頭に書いた、感謝の意味もあるのです。
 

 まず、カーブスに通える、いや続けられるということは、きちんと二本の足で歩け、きちんと食事が出来る。朝起床から、夜寝る迄自分の体は自分でコントロールできる。笑える。話せる。排泄も自分で出来る。とこんななんでもないことが、スムースに出来ない人もいるのです。体の順応もままならない人も、目の不自由な方も、耳の聞こえの悪い方もいるのです。どのことも、みな他人事のようで、だからカーブスに通うこと出来るのだと思いました。少しぐらい太っている?下腹が出た、姿勢が悪いとか、間食をしすぎるとか、ビールを飲むのを控えめにするとか、鏡に写る自分を、自分でチェックできる、なんと素晴らしいではないか。それに今の時代、カーブスに通う金子にも苦労する人がいるのでは。
 それぞれに計画を持って、働きながらの人もいるだろう。もちろん、私も類であった。
主人を亡くした後は、もう口にするのも、筆にするのも壮絶であった。気がつけば、主人は、信頼していた人の騙しにあって、秩父にあった杉の山も、家も土地も手離して、私は身一つになった。見事な手形詐欺にあった主人は、そんな最中での急死であった。私も小さな会社の一役員であったので、主人を欺いた不敵な者の為に、手形の決裁の一億に近い負債を抱えた。主人が生存中に起きたこのことは、それでも二人で考え、負債の返済にあたった。主人は経済を勉強したのに、手形詐欺に合うという不様な結果に、どの位のストレスを体に溜めてしまったのだろう。当時は多分、私が、何故、どうしてと主人を詰ったこともあったと思う。それでも、人の良い主人が、欺かれた。騙されたのだという一念で今日迄来た。やっと落ち着いて、どうにか静かな生活が送れるようになったこの頃なのです。

 だけど...私は泣いてはいられなかった。
生活の為に働いた。娘は無事短大を卒業し、二人の息子も、今は子の親になった。夜になると、いいようのない淋しさと虚無感。泣かないと誓ったのに、あとからあとからの、止処のない涙が、どの位続いたであろう。何かしなくては、私は終わってしまう。私で無くなる。こんな私を、主人もきっと気づかっているだろう。
小さな頃から音に関するものが大好きであった。とりわけ、和琴は、小学生前から習ったので、琴でも又始めるかと思ったりもしたが、ひょんなことから大正琴にのめりこむ羽目となった。背すじを電気の走る感じであった。ブームもあって、流派も十や二十ではない。それでも、国内の中では、一、二に入る琴城流の弟子に入り、師の勧めもあって、指導者の道を歩むことになる。たった一メートルに足らない五本絃の小さな楽器が、どんなジャンルの曲でも奏でるのに、いや弾くことができるのに見せられ、填まってしまったのだ。時にスランプがあったり、心に落ち着きがないと、音は正直に泣く。曲にならない。
 資格審査の筆記試験も、上を目指すには勉強もうかうかしてはおれない。人生半分以上に来た私に試練は容赦なかった。それでも、この大正琴に逃れた私であったので、屈折することは、自分で許せなかった。夜遅く、人が十回練習するところを、私は二十回、三十回と若くない体をムチ打った。世の奥様が、趣味で、昼間のレッスンを、どれほどうらやましかったか。それでも、どうにか失敗もなく現在に至った。師範を過ぎ、講師、准教授と進んで、目前に教授の試験を残すのみとなった。私に教えて下さった人の教訓を、その頃から大切にしている。人からは若いと言われるには秘訣がある。それは「かきくけこ」を意識するのだそうだ。「か」は感動する。「き」は興味を持つこと。「く」は工夫が大切。そして「け」は健康第一。「こ」はいつでもこうなりたいと思うあこがれに対して、前向きに努力するのだそうだ。本当にそう思った。無一文を嘆くより、泣く子も目を明けよの言葉のように、何か楽しいことはないものかと考えてみる。文にしてみる。声に出す。歌ってみる。恋を探す。考えるだけでも楽しい。
カーブスに入会する一年前に、自転車で走行中、横を走っていた車がスゥと横へ曲った。
 私は驚いて急ブレーキをかけたが、縁石につまづき、バランスを失って倒れる。見事に、右足の小指を骨折した。すっかりハレ上った足を、捻挫とばかりに、湿布を貼って十日も過ぎた頃、どうも腫れがひかないので、整形外科の診察を受けた。レントゲンの結果、私は松葉杖のお世話になる。一ヶ月の間、食べてはゴロリ、動けないのを理由に、気がつけば見事に体重増加。大正琴の発表会の時、着つけをして下さる美容師さんが、「少し太りました?」という。いつもは一反も、晒を身体に巻いて補整するのに、名入の帯さえもきついぐらいだという。鏡の中の私は、貫禄十分な、デンとした一人のオバさんだった。
 私が入会した当時は、まだ開所から十ヶ月過ぎた頃のカーブスであった。会員番号四八〇。スポーツは好きである。学生時代は、県大の陸上競技の記録も作った程で、バレーでもソフトボールでも、下手なくせして、とにかく跳んでいた。
マシーンが十二、ボードが十二でその後ストレッチ、わずか三十分で、終わったあとのスッキリとした感じが好きです。始めて半年後にカーブスプリンセスがありました。ここでは初めてのプリンセスでしたが、体脂肪も体年令もプリンセスをいただきました。下腹もスッキリしたし、とにかく身が軽くなった感じです。
あの凄かった時を過ぎ、こんなにも、カーブスに夢中になれることの喜びを、この頃、切に感じてます。某養成所のオーディションに受かりましたという通知もいただき、私にとっての一番の成果は、積極的に物事に取りこむができ、かつ健康維持が出来たこと。肌のきめの細かさをほめられること。これこそカーブスでの結果だと、静かに喜んでます。