「笑顔百万両☺」これが私のトレードマーク。人は皆、何かを背負って生きてるけれど、健康第一!心と身体が元気であれば笑顔になれる。そして「福がやって来る」そんなお話を...

 私は2006年9月にカーブス入会。早いもので、もう3年以上の月日が経過しました。今やカーブスは「私の生活の一部」である事は間違い無し!!「健康で有りたい!」「30分だけ!」「女性だけ!」この3点が私の入会動機でした。入会当時は、まだお勤めをしていたので、会社帰りに週3回は必ずカーブスに寄ってストレス発散!マシンを2周すると、心も身体もスッキリ!!会社で有った嫌な事は忘れて笑顔で帰宅。心地好い疲れを楽しみながら、お夕飯の支度に取り掛かれました。
 ワンちゃんのお散歩や長距離チャリ通勤、立ち仕事...等で、もともと身体は動かしていた私なので、カーブス入会当初は特に体重が減ったとかの変化は無かったのですが、2ヵ月過ぎた頃から酷かった肩こりと腰痛が嘘のように楽になり、もうビックリ。3ヵ月過ぎた頃には、ずんどうだったウエストに括れの兆しが...半年も過ぎるとハッキリと括れが。
 バンザイ!!諦めかけてた女心に火がついて、バストアップもと、欲が出ました。そして一年後には見事にバストアップ!胸が大きくなったというより、張りが出て、同年齢の友人達と温泉に入った時など、「凄い!みどりちゃんの胸、下がって無くて、良い形してるね♡うらやましい~!」なんてお誉めの言葉続出。「まだまだ女よ」と今度目指すはヒップアップ。いつまでも大好きなジーンズが似合う女でいたい...と雨にも負けず風にも雪にも負けず、週3回は必ず通い続け、ヒップアップも成功し、若者向けのファッションを颯爽と楽しんでいたこの私が、まさかの入院になろうとは...あぁ神様ぁ~。
 人生何が起こるか分からない。職場で転倒して右足首脱臼骨折!!手術は成功したものの、動かない右足が悲しかった。普通に歩ける事が、どんなに素晴らしい事なのか思い知らされた。あんなに元気に動き回っていたこの私が、トイレにも自力では行かれない...惨めだった...辛かった...病室の白い壁と天井から下がる点滴を見つめ、人知れず涙した。だが、めげてばかりいたのでは「無敵のみどりさん」の名が廃る。「今にみていろ!絶対にこの足で歩いてみせる!!」と心に誓い、病院指定のパジャマを脱ぎすて、カーブスのTシャツを着用して、リハビリに挑んだ。
 ジャ~ン!!ここからカーブス復帰への快進撃が始まったのだ!胸にCurvesの文字の紫色のTシャツ姿の私は、とにかく目立った。リハビリ教室がお休みの日でも自主トレに励んだ。病院の廊下や階段を、慣れない松葉杖をつきながら、ピョコタンピョコタンと、一歩一歩ひたすら歩行訓練を重ねた。
 一ヶ月半も入院していると、いつしか私は病院の名物になっていた。私の取り柄は明るい笑顔だったので、ニコニコ笑顔のニコちゃんと、ニックネームまで頂戴した。「Tシャツ姿のニコちゃんが毎日リハビリ頑張ってると、みんなが元気出るよ!」と、ドクターや看護師さん達に言われ、益々笑顔百万両全開で自主トレ。「このTシャツは、どこの?」と聞いてくる人達(その頃はまだカーブスの存在を知らない人が多かった)に、私は笑顔で得意げに(まるでカーブスの伝道師気分で)カーブスの話をしちゃいました。
 そして、カーブスが病院内に広まった頃、やっとやっと長かった入院生活にオサラバする日がやって来たのです!!とにかく嬉しかった!退院と言っても、まだ片松葉杖状態だったので、すぐにはカーブス復帰は無理だったが、暫く通院リハビリを続けているうちに、ドクターから復帰のお許しが!「ヤッタァ~!!」復帰後最初の頃は、足を使用するマシンは避けていたのだが、週3回のペースは休会前と同様に通い、いつしか全部のマシンが使えるようになった。手術後動かなかった右足の筋肉は、見事に衰え(骨と皮状態で無気味)左足の半分位の細さになっていたのだが、やっと足のマシンが使用できるようになり、少しずつ右足に筋肉が付き始めた。早く左右同じ太さに戻りたい!との願いを込め(焦らず、でも前向きに)週3回は必ず通い続け、退院して一年が過ぎた頃には、左右殆ど変り無い太さに。心配していた歩き方もビッコも引かずに、普通に歩ける様になりました。私の右足首の骨には(手術でチタン板をとめていたビスを抜いた跡)8個の穴が空いています。この穴は今後一生埋まる事は無いので、穴が空いてる分だけ骨が脆くなっているのは事実。「この骨を守るには、骨の回りの筋肉を鍛えるっきゃない!!」と、改めて「筋肉の大切さ」と「筋トレの必要性」を痛感した私です。
 仕事の方は「立ち仕事だったので、足の負担を考慮」と「同居している姑さんの介護」を理由に退職。毎日の介護も辛いと思うと暗くなりますが、私が目指すは「明るい介護!」車椅子を押す時でも笑顔でピースができるような...。それには「心の発散」と「介護の為の体力作り」の場が必要です。それが私にとってはカーブスで有り、今の私にはなくてはならない存在なのです。
 また、私は多趣味で、介護の合間に楽しんでいるのが、カラオケとフラダンス。イラスト描くのも大好きで、カーブスマガジンの「お便り広場」にも「今ではフラも情熱的に踊れる様になり、右足骨折が嘘のよう」とのコメント付きで掲載させて頂きました。
 話が前後しちゃいますが、退院後半年程した頃に、私は「NHKのど自慢」に出場しました。入院中お世話になったドクターや看護婦さん、病室のお仲間だった人達、皆様に、松葉杖無しで自分の足でしっかり歩いて、ステージに立っているニコちゃんの晴れ姿を、ブラウン管を通して見てもらいたかったのです。やはり全国ネットに威力は物凄く、私の姿が放映後、本当に沢山の人達から「ニコちゃんの笑顔は最高だ!」とか「元気を貰ったよ!」とか様々なメールやお電話を頂戴する事ができ、とても嬉しかったのですが、悲しいかな歌は鐘二つ。予選250組を突破できただけでも奇跡的で、何しろ3千人もの人前で唱ったのは初体験なもので、上がってしまい...と、歌唱力の無さを上がったせいにしては、いけまへん。歌唱力をつけて、もう一度NHKのど自慢の舞台に立ち、今度こそか鐘を連打させたい!というのが夢です。カーブスに通い続けていると肺活量も増し、前よりも声が延びるようになったのは事実!夢に向かってゴー!!です。
 夢はまだ有ります。「金婚式祝いにハワイへ行き、ワイキキの浜辺を(銀婚式の時と同様に)走ってみたい!」これです!!それも銀婚式の時に着用して走ったあの時のドレスを着て、もう一度!...という事は、あのドレスが着られる体系を維持し続けなければならないし、浜辺を走れる若さ(金婚式は17年後)も保たねば...。それにはカーブスにいつまでも通い続け、健康を維持し、この夢を是非是非叶えたいと思っています、本場ハワイでフラも踊れたら最高!!
 みどり58才、人生まだまだこれからよ!♡♡我が人生に福来(フラ)♡♡

 その源がカーブスで有る事は、言うまでもありません。