娘のお産に備えて、定年退職まであと2年という時に、26年間の常勤形態からパート勤務に変えていただきました。元来、じっとしているのが苦手な性分で、動きまわる営業・配送業務に携わり、多くのお客様先を訪問する部署でした。勤務時間や出勤日数が減り、増えた慣れない"ぼんやり時間"に戸惑うようになりました。荷物を運んだりと日々動かしていた体のあちらこちらが退屈さを覚え始めたのです。その頃です。よく行くスーパーの3階で「カーブス」の看板に足が止まりました。
「1回30分、予約不要。好きな時にパパッと行ける!」
心は釘付けになり、入会を決めるのにも時間はかかりませんでした。子供が生まれてからも、保育所などに世話になりながら仕事を続けようとしている娘のサポートと平行して、私自身の趣味の時間を充実させるのにも、カーブスは最適だったのです。
健康な体に生み育ててくれた母に感謝しながら、健康診断の値も気にする事なく、元気に過ごしていました。入会時の体脂肪率・骨格筋率他の数値も担当してくださったコーチをびっくりさせる程の若々しいものだったようです。(当時の私にはその意味もわからないままでしたが...)
自転車で10分という便利さもあり、仕事や娘親子の世話と同じくらい、カーブスが楽しい場所になりました。たんぱく質・筋トレ、腹圧...などの大切な言葉を覚え、計測を心待ちするようになりました。メンバーさんやコーチとも仲よくなり、心も体も軽快♪そのものでした。カーブスが私の毎日に花も添えてくれ、充実の日々が続きます。
ところが、母(当時85歳)が、くも膜下出血で倒れたのです。9時間の手術には耐えられたものの、要介護5の姿になり意識不明の状態になったのです。話しかけても目は閉じたままです...。理学療法士さんが、「畑で倒れたんやね...いつも歩きまわってたんやね...えらいね...。筋肉がしっかりしてるよ...がんばってね」とつぶやきながらマッサージしてくれていたシーンが今でも忘れられません。
ワークアウトしながら、脳裏に浮かぶのもしばしばです。筋肉の大切さを学びました。最後まで眠ったままでしたが、私の「母さん、ありがとう」も聞こえてくれてると思います。2 年2ヶ月後に、その前年に逝った父の元に旅立ちました。
足に脳梗塞の後遺症がありながらも、よちよちとよく動き、ゲートボールにカラオケ、大正琴、読んだり書いたり、針仕事。それに野菜作り。いつも前向きで、機転の利く会話には帰省のたびに驚かされ、こちらが元気をもらったものです。
まもなく12年目のカーブス生活を迎えます。年齢を重ねてきた方が、体が柔らかくなった気がします。背中のかゆい所にも手が届きます。趣味のウォーキングも、遅れる事なく列について行けます。孫とふざけてピアノを弾いたりもします。
健康診断では、コレステロールと血圧値が正常に近い異常値ですが、かかりつけの先生の指示で"一番薄い薬"をいつも飲んでいます。元気です。適度な運動の欄には○を付けます。カーブスしてますもん。
亡き母が身をもって教えてくれた筋肉の大切さを念頭に、認知症予防も兼ね、手の届くところで常に待機してくれているカーブスマガジンも時々読みます。
「人生いろいろ......どんなときも、カーブス!大変なときこそ健康が必要!」
今年の夏は、70代の始まりです。先ずは、母の生きた年齢、87歳を目指します。