この頃は毎日「熟睡感」と「すっきりした目覚め」で1日が始まる。「ありがとう。今日も頑張れる」そう思いキッチンに足が向く。
 息子の朝食が6時とほぼ決まっているのでそれに合わせようときびきび動ける。カーブス歴4年半。コロナ禍の頃の私とは大違い。『筋トレ』のお陰かなと思ったりする。
 明るい気持ちで息子を送り出すと、ゆっくり夫と食事。掃除や洗濯を済ませばコーヒータイム。飲み終えると、ここからが私の時間。私の心の在り様でいかようにもなる時間になる。ところが、予定がないと読書に走るが頭が働かない。心が躍らない。いつの間にか居眠りしている時がある。これではいけないと外にでる。屋敷内の畑には春草が萌えだしている。早速草取りをしなければと気づき取り始めるが、30分もすると疲れを覚える。
 そんな時、気分一新しようとカーブスへ行く準備に取りかかる。往復の時間も入れても約1時間弱。お昼までには戻れる。そう思うと支度も素早くなる。

 カーブスに到着すればコーチの元気な挨拶に迎えられ、筋トレに励む仲間の一員となる。
 設けられた器具ほぼ満席。「すごいなあ、こんなにも沢山の人が筋トレに励んでいる。それに殆どの人が均整の取れたスタイル。ステップボードには、腰上まで大きく足を上げる人。膝上までの人。わずかに足を上げる人様々だ。腕も足と同様に大振り中振り小振りと様々。十人十色だなあ」と、個性を楽しむ。
 わずか30分ほどなのに多くの人と出会えるのだ。そして思う。それぞれ年齢も職歴も家庭環境も異なるのにこの時間、この空間だけは同じ目標に向かって生きている。健康を維持しようと筋トレに励むことが習慣になっている人たちの集まりなのだと。
 ストレッチも完璧に済ませ、さっさと帰って行く。着ているTシャツの回数が2000回を越えている人もちらほら。中には3000回以上の人さえいる。そんな人に出会うとやっと1000回を越えたばかりの私はその息の長さに驚く。 『継続は力なり』という文言が頭を掠める。

 私もカーブスに通い続けて、いくつかの成果を感じるようになった。それは2年を過ぎてからだった。初めの頃は通うのも億劫。コロナ禍ということもあって、びくびくだった。しかしいつの間にか気分転換に行く気持ちでなく筋トレ終了後の快感が忘れられなくなっていた。支度は億劫だが通えば快感が得られ、帰途の車運転中に来て良かったと思い、気分爽快の私になっていた。しかも健康維持に「筋トレ」が必要と思うようになっていた。
 しかも気がつけば体が素早く動くようになっていた。転びやすかった体も転ばなくなったし、転んでも擦り傷程度。医者にも行かず自然治癒。階段も2階ぐらいまでは自力で上がろうという気力も出てきていた。以前はすぐエスカレーターやエレベーターに乗ってしまっていたのに。80歳を過ぎても最近の計測では体年齢70歳とでた。思わず「快哉!」を叫んでしまった。

 70歳代は素晴らしい時代だった。親の介護も終わり子供たちも自立し、家を離れた。孫の世話もなく、時間はたっぷりあって好きなことが出来た時代だった。フレイル対策や地域の方との交流も先に立ち活動出来た。
 そう出来たのは、「健康維持」できたからだ。カーブスの壁に掲げられた多くの文言やコーチの前向きな声かけに励まされていたからだろう。いずれにしても、毎日が楽しい。特に朝が最高。伸びしろがあると信じ、小さな成果を確認しながら筋トレを頑張っていきたいと思っている。最後に私の目標「かきくけこ」を紹介したい。

照る日曇る日あるけれど、
か 寛容、寛大心がけ
き 気負わず気軽に
く 工夫も忘れず
け 健康第一、健やかに
こ 孤立を避けて交流し社会貢献を目指したい