だから今この瞬間にできることを

 2025年1月30日義母が亡くなった。前日入所先のお風呂に入るまで何の変わりもなかったが入浴後急に意識を失い、意識が戻らないまま亡くなった。クモ膜下出血だった。享年100歳。常日頃「ぴんぴんころりがいい」と言っていたから苦しむこともなく極楽浄土に行けたのは信心深い日頃の精進の賜物かもしれない。2月2日は冬とは思えない暖かい日で、村中の人が来てくれたと思えるほどの大勢の人が野送りに来てくれ、おばあちゃんは旅立った。立派な戒名もつけてもらったし、できるだけのことはしたという気持ちだった。残された私たちはおばあちゃんの思い出に話の花を咲かせ、3月15日には無事四十九日の満中陰を迎えた。その間相続や年金の手続き、法事の段取りと忙しい毎日だったが、親戚の人が助けてくれ何とか終わったと思っていたら15日に私が倒れることになった。突然のめまい、吐き気に起き上がれなかった。幸い準備はほぼ終わっていたので後は息子と親戚の人がやってくれた。

 18日に親戚の人が病院の受診を勧めてくれ受診した。沢山の検査をした後脳出血と言われ入院した。入院した部屋は4人部屋で、1人の人はこの世の終わりかと思うほどのため息をつき看護婦のさんが何度言ってもおむつを勝手に外してしまうのでベッドがびしょびしょになってしまうらしい。気の毒とは思ったが「いい加減にして」という心の声も禁じえなかった。21日になってリハビリをした。歩いたり、言葉を話したり、操作したり。いつもしていることが出来るって嬉しい。幸い症状は軽く22日には思いがけなく退院できた。嬉しかった。

 ベッドに横になりながら考えた。ああラッキーだったな。失ったものは少なかった。

 退院のしおりを改めて見た。仕事可、入浴可、運動制限なし、飲酒制限なし、食事塩分1日5g、大したことない。日頃から血圧は高めで塩分は控えていたし、病院の食事も我慢できたので大丈夫。薬の関係で車の運転ができないのは不便だけど事故を起こすリスクを考えればこれくらい仕方ない。運動制限なしということはカーブスに通っていいということ。

「よおし、がんばろう」

 豪華客船にも乗りたいし、友達と旅行にも行きたい。おいしいものもまだまだ食べたいし、孫とも楽しく過ごしたい。ジュースは半分しかないのではなくまだ半分もある。と考えたら元気がでてきた。ちょっと思うようにできなかったけど踊りの練習も行けた。だんだん日常が戻ってきた。「よかった」こうして前向きに生きていけるのはカーブスのおかげ。衛藤先生の心の道しるべのおかげ。後悔したり、恨んだりしていても幸せになれない。私は今この瞬間にできることをして元気に幸せに生きていく。