「あなた、あと5年なんて生きられませんよ」

 かかりつけの医師からこう告げられたことが、私がカーブスに入会したきっかけだった。2024年9月の末のことだ。
当時、私はファイナンシャルプランナー1級の受験勉強をしていた。定年後の再就職のためである。年金だけでは心もとない。しかし、体力に自信があるわけでもない。それならば、何か特殊な資格を取って資格予備校に潜り込み、模擬試験の作成でもさせてもらおうと考えたのだ。
そこそこの難関ではあったが、約3年、9回目の受験でなんとか合格できた。あとは、人生の春が訪れるはずだった。年金に加え、バイト料で月に一度は温泉旅行に行ける程度の収入になる。やるべきことをやり終えた、楽しい「人生の放課後」が待っている――。定年退職を、心待ちにしていた。

 だが、その矢先だった。

 受験勉強中、毎日座り続けていたせいで、太ってきたのはわかっていた。首や背中の痛み、肩が上がらなくなったのも自覚していた。
最終合格を果たし、ほったらかしにしていた健康診断を受けに行った。その結果――私の体は、ボロボロになっていた。
血液検査の結果は、すべてに異常マークがついていた。肝臓も腎臓も、おかしかった。尿検査、すべて異常。
挙句の果てが、医師の余命宣告だった。
これは、こたえた。定年後を楽しく暮らすために始めた受験勉強のせいで、人生の終わりが近づいてしまっては目も当てられない。
自分の命を、自分で縮めた。
悔しいのか、悲しいのか、ばかばかしいのか――よくわからなかった。
わからないままに、なぜだか妙に豆大福が食べたくなった。私の町には和菓子屋は一軒しかない。その店で、大福と栗羊羹を買って外に出ると、隣の建物ののぼりが風にはためいていた。

そこに描かれていた文字――「Curves」

 それが、私とカーブスの出会いだった。
今でも時々思う。もしあの時、大福ではなくシュークリームを買いに行っていたら。もし和菓子屋の隣がカーブスではなく、いかがわしい占いショップか何かだったら。私は今頃、不健康な体のまま、パワーストーンでも祈っていたのではないか。

 カーブスについては、ほとんど何も知らなかった。テレビのCMで「30分フィットネス、カーブス♪」という歌を聞いたことがある程度だった。
半分フラフラと階段を上り、受付に向かうと、元気そうで明るいコーチが迎えてくれた。10分以上、もしかすると20分近く話したかもしれない。実をいうと、この時のことはあまりよく覚えていない。かなり鬱陶しい話をしてしまったのではないかと思う。あの時のコーチには、本当に申し訳なかった。
印象的に覚えているのは、現状を聞いてもらった後のチェックで、片足立ちが一度もできなかったこと。マシンが重くて一度も動かせなかったこと。その2つだけだ。
そのまま、1年間の契約を結んだ。これで、方向性は決まった。食事、生活習慣、薬――医師の指示はすべて守る。そして、カーブス。来られる日は、毎日通う。そう決めた。
方向が定まれば、あとは実行するだけだ。自分で、自分の新しい命を作っていく。こういう時は、思いきりカッコいいネーミングがいい。
迷った末に決めた名前は、「Vita Nova 計画」。ヴィータ・ノーバ――ラテン語で「新しい人生」。なんとなく心が奮い立った。

 最初のうちは、とにかくマシンが動かせなかった。ボードも、2周目までは息が続かなかった。ストレッチでは腕を真上に伸ばすことすらできず、手を腰に当てる動作だけで上腕に鈍い痛みが走った。
自分で、自分の体をここまで破壊していたのか――。 苦笑いを浮かべながら、そう思う日々だった。
それでも続けられたのは、「やめる」という選択肢がない、崖っぷちの状態だったことに加えて、1年契約の料金を無駄にしたくなかったこと、そして――帰るときの、あの心地よさだった。 運動を終えて、疲れているはずなのに、心地よい。首から肩にかけての、妙な違和感は、きれいになくなっていた。
2週間もしないうちに、腕が動くようになり始めた。運動を終え、受付でカードを通すとき、思い切って肩を動かし、腕を真上に持ち上げてみた。

――動いた。

 カーブスに通い始めて2ヶ月。やっと私の腕は、耳のそばを通って真上に向かった。 そこからは、快進撃だった。
カーブスから自宅までは、緩やかな坂道だ。腕が動き始めたころには、ゆっくり進めば休まずに登れるようになっていた。
マシンも、大きく早く動かすのは難しかったが、小さくゆっくりなら動かせるようになった。できることが増えていくと、興味も面白さも加速度がつく。
「今度は何回動かせるだろう?」 「今日は緑(脈拍数)を何回にしよう?」 「持っていく水に、レモンを混ぜてみようか」
毎回、小さな楽しみを加えながら、私は前へ進んでいった。 毎回の計測では、何の変化も見られなかった。むしろ、3食きちんと食べるようになってからは、体重が増加する傾向にあった。それでも、私は自分の実感を信じた。数字だけではわからない何かがきっとある――そう強く信じることができた。

 そして、カーブスに通い始めて3ヶ月。血液検査の結果を聞きに行ったとき、医師はしばらくパソコンの画面を見つめ、こう言った。
「驚きましたね、かなり改善している」 ただ、正常に戻ったのは血液成分だけだった。脂肪の総量、とくに肝臓に蓄積した脂肪のせいで起こっていた脂肪肝は変化なし。解消が始まるまでには、あと最低でも2キロの減量が必要だとも言われた。
それでも――嬉しかった。ただ単純に、嬉しかった。
自分の力で、自分の命を勝ち取った。そう思うと、自分に対する誇らしさがこみ上げてきた。
なかなか動かない計測の数値を見ても、「3年かけて壊した体調なら、3年かけて直せばいい」と、鷹揚に構えられるようになった。
コーチの言葉も励みになった。 「数字はすぐには出ないんですよ。3ヶ月目くらいから、ドンと出ることが多いんです」
私の場合、それは4ヶ月目だった。

 4ヶ月目の計測で、すべての数値が赤に変わっていた。ウエスト、腹囲、筋肉、脂肪――表示された赤い数値を、何度も指でなぞった。 それにしても、人間の「欲」というのは限りないものだと思う。
自分の命、自分の健康を取り戻したと思ったら、今度はこの健康な体を使って、何か面白いことをやってみたい――そう思うようになった。
老後の幸せな生活を研究する学問・ジェロントロジーの勉強を始めたのは、ちょうどこの頃だ。
ジェロントロジーでは、高齢期の健康づくりに大きな価値を置き、「介護費用の削減によって国家規模の効果をもたらす」とまで評価されている。おかげで、カーブス通いは、私の小さな自慢になった。 現在、私はジェロントロジーとファイナンシャルプランニングを組み合わせたシニア向けライフスタイル提案サイトの立ち上げにチャレンジしている。

 あと5年の命?そんな診断は過去だ。私はもっと生き抜く。 生きるだけではない。笑って、動いて、人生をもっと楽しんでみせる。Vita Nova 計画、発動!