私は熱心なカービストであるが、優秀なカービストではない。10キロ痩せた、10センチウエストが減ったという成功者達の写真を見る度うらやましく、口惜しい思いをしてきた。どうして痩せられないか私は知っている。落ち込んだ時、甘い物に救われてしまっているからだ。心がざらざらした時、スイーツが私を助けてくれる。心のざらざらがどこかへ飛んでいく。そういう思いを、もう70年も繰り返してきたから、苦しい時はいつも甘い物の力を借りていた。だから私は痩せられない。
 老人になって、もう後期高齢者と言われる年になっても苦しい事はある。スーパーの店員に少し叱られただけでも、心はボロボロになってしまう。病院の先生に、もっと痩せないと死にますよと言われたら、明日にでも死んでしまう気がする。
 そして何と言っても私の軟骨のすり減った関節、膝の痛み、それが私を甘党党首にしてしまう。体重はどんどん増えてばかりだ。
 でも私はカーブスのコーチに叱られた事はない。1、2キロ増えたくらいでは叱られない。病院の先生の恐い顔とは正反対だ。
「維持してます」と言われるとホッとする。先月少し減ったからその分盛り返しただけだと思えるというのは何て素敵かと思う。私だって自分の弱い心と闘っている。落ち込んだ時にお菓子に伸びる手を少しは我慢している。コーチはそんな私を知ってますよと目で言ってくれる。口で言われたら、叱られた気になる。でも目は、信じてますって言っている。だから私は頑張ろうと思う。頑張っている私を私よりも信じてくれていると感じる事ができる。とても力強い味方がいるような気がする。
 私の10年前からの膝関節症がぶり返して、この3月に恐しい程の痛みで、立って歩けなくなった。壁に手をつけて、椅子やテーブルにつかまりながら歩いて、痛み止めを飲んでも少しも痛みがなくならない。もう歩けなくなると思って、目の前がまっ暗になった。
 最初の病院では、「手術して人工関節を入れましょう」と言われた。鉄の足の女にはなりたくないと思った。死んで火葬して、鉄の固まりが出て、「これどうする?嗗壺に入れる、捨てる?」と子供に言われるかと思うと、鉄の固まりなんか膝に入れてたまるかと思った。
 2つ目の病院に行くと、「運動して直しましょう、何か運動してるの」と医者が言った。「カーブス行ってます」と答えた。「あ、それいいね、頑張って行ってね」と言われた。とても嬉しかった。骨上げの鉄の固まりが目の前から消えた。「1週間休みます」とカーブスに電話して、それでも週の半ばにカーブスに行った。コーチが飛んで来て、「足大丈夫ですか」と言った。言った人は1人なのに、コーチみんなが知っていて、気遣ってくれた。沢山いるカービスト達の中で、私1人の事を思いやってくれていると思うと、とても嬉しかった。
 サーキットを2周すると、来た時より足の痛みがよくなった。「痛みどうですか」とコーチに言われた。「来た時よりよくなってます」と言うと、コーチはとても嬉しそうな顔をした。私より嬉しそうだと思ったら、心が温かくなった。「誰かの為に涙を流す」ってこういう事なんだろうなと思った。
 私の通っているバークレーのカーブスは、米領事館のアメリカ国旗が目に入り、窓の外をオスプレイが飛ぶ、基地の街の隣にある。私は基地の街に住んでいて、以前は歩いて通っていたが、膝を痛めてからは軽自動車で通っている。コーチが皆若く、純粋で、自分の母や祖母の年齢の人達とも、友達のように接してくれる。だから私は彼女達を友達とも思い、先輩とも思っている。彼女達は私の知らない事をたくさん知っている。運動が大切という事を熱心に教えてくれる。それまで体重が減るという事だけで通っていた私に、筋肉の力を教えてくれたのも彼女達だった。
 筋肉が大切と知ったのは、安室奈美恵のさよならコンサートの日だった。その日私は、趣味の琉球舞踊の発表会があり、二部式着物を着て、下駄を履いていた。慣れない下駄で石か何かにつまずいて、思わずたたらを踏んでいた。「あー、ころぶ」と思ったが、ころばなかった。いつのまにか筋肉がついていたのである。側で見ていた女の子達が、「ころぶと思った。絶対ころぶと思った」と言っていた。私もころぶと思っていた。でもころばなかった。私、筋肉ついていたんだ。
 私は熱心なカービストである。カーブスのコーチ達のファンである。彼女達はみんな純粋で、古い女達の救世主だと思っている。私はもう古い女だけど、新しい女の彼女達からいろいろな事を教えてもらうつもりである。窓が三方も開く、明るい、オスプレイはうるさいが、素敵なバークレイのカーブスに、ずっと通いたいと思っている。