"今、私はとてもしあわせ"と胸を張って言えます。
振り返ると3年前までの私は、不安と葛藤の荒波の中を漂っているようでした。
40代で子宮全摘の手術を受けてから、いろいろな不調が始まりました。術後間もなくの激変!白髪が増え、乳房がしぼみ、お腹に力が入らなくなり、声も掠れてしまいました。次々と顕著にあらわれる症状から、仕事もリタイヤし、少しでも快方したい思いで、あちらこちらと病院通いをし、処方された薬漬けの日々を過ごしました。
思い起こすと術後から随分時間は流れました。なんとか両親に支えられながらも、否定的な気持ちばかりの日々でした。仕事の出来ない私は、脱落者だわ!転居の変化にも馴染めない私って!ダメ人間と決めつけ、負のスパイラルの渦に巻き込まれてもいました。
そんな矢先、実父の余命いくばくのガンの告知を知りました。私は、体調不良などと甘えている時ではないと必死で堪えていました。
実は、実父の主治医、実父の最後を看取ってくださった医師に、私の症状と服用していた薬の話をさりげなく話しました。すると、その薬は、娘さんの症状には...と私は、「え!!」と驚き、目の前が真っ暗に、"この薬は、絶対やめよう"と決意しました。今でもあの時の頭痛と意識が混濁したような状態...初めてこれが更年期障害の症状だったことを知りました。(薬の強い副作用)
その後、薬の副作用の恐怖心から極力薬を避けた生活をしました。しかし、私の不定愁訴のような症状からは脱けだせず、常々健康不安を抱え込んでいました。
もしかすると、気のせいかもしれないと思い、自分自身をしっかり見つめなおそうと、カウンセリングの講座を受講し、学びました。そして、気分転換をしようと決め学んだカウンセリングを活かし、ボランティア活動にも取り組みました。
しかし、いつもすっきりとした心身の状態は続かず、否応なしに老いもあらわれ、全身に痛みが走り、すぐ疲れる、強い下腹部の冷え、ふともものうっ血、ケイレンが続きました。
ある日「これが最後の砦にしよう」と重い身体を引きずり、心が折れそうになりながら一筋の光を求めて、カーブスの前に立ちました。その当時の私は、運動など殆んど出来なく、自信も失っていました。
筋トレをしているメンバーさんの活き活きした動作に、ただ、ただ、圧倒され、しかもコーチの方々の声掛けにも、体が硬直し緊張の連続で、アドバイス等耳に入れる余裕もありませんでした。やがて、半年も過ぎた頃から、"あれ、体のコチコチが少し解れたみたい"と筋トレ後に感じるようになりました。
あれ程至難の業だった私の左足がゆっくりと一歩...前へと進むようになりました。私の心中では、いつももう車イスしかない!ふとももはケイレンと痛みが...その左足が動いたなんって!すごーい!と不思議な気持ちになり、誰かに伝えたいと思いました。
カーブスでのストレッチ中に、隣にいたTさんに「私の足、すーと前に出るようになったの」と自慢気に話すと、Tさん達は「えっそんなの?」と信じられない表情をしました。
やっぱり私の独りよがりなのかなと悲しくもなりました。たまたま隣にいわわせていたKコーチが「道子さん股関節が痛くなかった?」とその場の雰囲気を察知し、フォローしてくださいました。
私は、元来悪い体型でいつも俯きかげんで自信なさげな言動が常でした。しかし、この猫背の体型に、明るい光の矢を放ってくださったのが、Sコーチの温かいアドバイスでした。私の猫背は、生まれつきと身内も諦め状態でした。常に、首、肩、背中の筋肉はこわばり、緊張状態でした。しかも、体を動かす度に、ギシギシ、ゴリゴリと音がなり、周囲の人に聞こえたら恥ずかしいと思っていました。その様な私に、Sコーチは、筋トレ中、機会あるごとに「道子さん、前を向いて、遠くを見て、肩の力を抜いて」等と声を掛けてくださいました。
いつの間にか、私の体は、リラックスモードに入り、緊張が解け、体が柔軟になっていくのを感じました。70年以上も抱えていた悪い姿勢は、"あっ"という間に、首も肩のにぶい音も消え、軽くなり、横隔膜附近がすーと伸びたように感じ、深い呼吸になりました。退所時のパネルタッチ時のさわやかさは、きっとエンドルフィンのホルモンが体内に浸透していたのではと体感、筋トレの醍醐味がありました。そして、徐々に苦しかった不定愁訴が消えさったのでした。
早春のある朝、私は愛犬といつものコースを散歩した時のことです。朝日が眩い程光り輝く光景に、うっとり"こんなに綺麗な朝日をみたのは、いつだったんだろう?"そして朝日に背をむけると、日光連山の頂は、銀世界に、思わず"スキーの歌♬山はしろがね~"を大きな声で歌ってしまいました。あの時は、心もワクワク、体はぽかぽかそして、私の両足はしっかりと大地を踏みしめていました。
"よかった、本当に元気になって!"確かに、心と体は、表裏一体と理屈では知っていたが、ここに立っている私は本当に生きているんだという実感を味わいました。涙が流れました。
私にとってのカーブスとは、閉ざされていた未知の力を引き出してくださる所ではと思います。私の元来の好奇心の芽が復活し、特に健康への意識が高まってきました。食生活と運動の大切さを、たん白質をしっかり摂って筋トレ効果をと自覚し行動にうつせるようになりました。もっと健康について詳しく学びたいと講座を受講し、健康管理士指導員や認知症ケア指導員も修得しました。筋トレすると頭への血流もよくなったのだろうか?姿勢がよくなってから、幾分思考がクリアになり記憶力いや集中力がアップしたような気がしています。
実は、血管年齢に大きな変化がありました
2023年(11月)動脈硬化度を測りました。すると、主治医から、年齢相応、動脈硬化のはじまりと言われ、やっぱり歳かと思いました。しかし、2024年(12月)検査を受けたところ、血管年齢が20歳も若くなっていたのでした。主治医も、運動と食事は大事、効果が出てよかったね、これ程元気になれるとは...血色もよく今が最高だねと......私は嬉しい限りです。
このしあわせな今の気持ちを大事にしながら、地域活動に貢献できるようなボランティアをしていこうと決意はじめの一歩中です。
私は、カーブスに通うことができる限り、お世話様になり、自分の事は最後まで出来るように心身を鍛えていきたいと切に願っています。自分らしく明るい女性として生活していきたいです。
これからも、コーチの方々のパワーをいただきたいので、どうぞよろしくお導きください。
ありがとうございました。