隣家のYさんに、2020年にカーブスに誘われ、早いもので、5年目になります。誘っていただき、感謝申し上げます。

 私は、23才で結婚し、現在子どもは、4人、孫は2人、ひ孫は1人おります。私は新潟県柏崎市の生まれで、2025年6月9日で81歳になります。奇しくも6月9日は、1993年6 月9 日に御結婚された、現在の天皇御夫妻と同じ月日であります。私は、高校までは新潟でしたが、卒業後は、何とかして雪の降らない県の学校を受験したいと思い、将来保健師になり、地域の「公衆衛生看護師(保健師)」を希望していたので、大学の看護学部のある大学を探したのです。が、当時はありませんで。「東京大学、医学部公衆衛生看護学科」が唯一ありましたが、自分は、東大に入る実力はないため、東京・千葉・埼玉・神奈川等雪の多く降らない都・県内にある、国立病院附属の高等看護学院を受験し、全部幸いなことに合格しました。が、当時「風雪災害を、ニュースで余り聞かなかった」千葉県内の国立N病院附属高等看護学院に決め、3年間学び、その後、1年間千葉県保健婦(師)、助産婦(師)専門学院で1年間学び、1967年に千葉県上級公務員試験に合格し、22歳から60歳まで保健師として、38年間勤務し、千葉県内の、佐倉・市川・松戸・東金・船橋・柏の保健所に勤務して保健師として働き、所内のクリニックや家庭訪問等々で働きながら、子どもを4人を育てました。
当時は、1人をおんぶし2人を後の荷物台に乗せ、前のカゴには、テンコモリの着替えや、長時間保育時に、いただくオヤツや連絡帳etc.で一杯で、車の免許をとるまでは、自転車の4人乗りをして(今では警察からオメダマをもらう所ですが)3か所別々に預けながら、朝3時半に起床し、勤務を続けて皆様には大変お世話になりまして、感謝の一言につきるのであります。

 なぜ保健師を希望したかと申しますと、私は12歳で父親をがんで失い、母親を43歳の時心不全であの世に送り、健康がいかに大切かを身にしみて感じ、地域で働きたいと願って保健師になりました。又16歳年齢差のある長姉が保健師、助産師、看護士として、バリバリ働いていた姿を見るにつけ、私も地域で働きたいと切に望んだわけです。長姉の子どもは、私と長姉よりも年齢差がなく、12歳ともう1人が15歳の違いで、私は妹が2人いる状態で育ちました。未だかつて、私のことを叔母さんと言えず、「テイコ姉ちゃん」と私のことを呼んでいます。その2人共、幼稚園教諭と保育士と、管理栄養士として、千葉市内と柏崎市内で働いております。

 私は遺伝的なものがありまして、18歳で、2型糖尿病で、本年で、63年目になります。インシュリン1日3回自己接種し、腕に「リブレ」という「センサー」をうめて、1週間おきにセンサーを取り換え、検査をし、「レパーサ」というLDLコレステロールを下げる注射を1週間おきに自己接種し、糖尿病が原因で、心臓は「無症候性心筋虚血症」で、心臓にステントが数本入り、心臓カテーテル検査の7回目が終わりました。「右頸部動脈プラーク」「喘息性気管支炎」「第一胸椎圧迫骨折」「第四・第五腰椎変型症」「骨そしょう症」「尿失禁症」「高脂血症」「高血圧症」「内耳の耳石のバランス」が時々悪くなり、自己の健康管理と病院等の定期健診を気を緩めず行い、自己管理をしっかり行っている現状です。

 私がなぜ、48歳で腹話術を始めたかと言いますと、「自分の健康は、自分で守り、何事も早期発見、早期治療が必要であること」等の健康教育をいかに、視聴覚を取り入れ、楽しく心を開き、自分の健康は、自分で守り、他のいろいろな職種の人の協力を得て、地域の中で生活出来る協力体制を作るか等々。分かりやすく、楽しく、健康教育が聞くことが出来るよう働きかける媒体として、腹話術を習い始めて今年で33年になります。
「ラインビデオ」や「ズーム」や「オンライン」での勉強会や月1回の「流山生涯学習センター」での対面例会や、今年は、兵庫県姫路市「ニューサンピア姫路ゆめさき」で行われる「第7回春風イチロー師匠生誕100周年」「ロゴス全国サミット」の研修会出席やら、台本の作成。ショートステイの施設でのボランティア活動や「新日本婦人の会」での「腹話術基本練習カフェ」の練習や準備。「幼児教室」「学校」等々のボラ活。「傾聴ボランティア」の協力「老人敬老会」の協力、「町内会のお祭り」での協力。「来宅相談者者」への面接、「喫茶店」や「レストラン」でのイベントの協力等々。
朝の公園での有志の方のラジオ体操、第一・第二及び、私が号令をかけ、11種類のストレッチの実施等々。多病の私は、カーブスでの筋トレをし、筋トレを継続することがいかに大切であり、栄養面での蛋白質12点を1日摂ることの大切さが毎日の活動の上で有効か、コーチの適切なるアドバイスや優しさと励ましと、参加者の声かけとカーブスの皆様方の後押しと、紹介してくれたYさんには心から感謝をしております。

 24歳の時の体重75kgが、現在は45kgを維持しており、ランチ皿に栄養のバランスを考えて食事をすることが出来、カーブスの調理カードが大変役に立っております。近隣の方々や、知人にカーブスの良さと体の変化を話したり紹介しおすすめしたりしていますが、カーブスにつながった人は、今まで2名でしたが、今後もカーブスへの来所の良さを続けて紹介を続けていきたいと思います。いかに継続してカーブスに通うことが、健康の秘訣です。毎日、蛋白質12点を計算するのが楽しいです。糖尿病発病から、本年で63年目で、多病をかかえていてもしっかり自己管理していけば、楽しく生活が送れ「多病に打ち勝ち」ます。「カーブス」と共に!!