「ずいぶん動けるようになりましたね」
昨年の春、カーブスの帰り道、突然声を掛けられ、「はぁ?」とびっくりして立ち止まった私。
声の主は、カーブスで一緒の方だとのこと。
私は、わき目も振らず、カーブスでの運動に没頭するタイプなので、周りにどんな方がいるかあまり気にしていません。だから、最初はちょっとびっくりしてしまいました。
でも、その後、立ち話をすると、その方は「前より動作が滑らかになりましたね」とかいろいろ褒めてくださいました。私もだんだん喜びが込み上げてきて、今までの私の身に起こったいきさつを話しました。
その前の年の夏、カーブスの帰り道で、心筋梗塞手前の狭心症の発作が出て入院したこと。私の場合、運動をしなければ日常生活では心電図に異常が見られない初期のタイプだったこと。そのまま見過ごしていたら、突然死に至っていたかもしれません。そういうケースが多々あることも聞きました。ちなみに、その発作(胸の痛み)が出て町医者に行ったら、心電図に異常がないので『逆流性食道炎』と診断出ました。診断した先生も本人もちょっと違うと思い、紹介状を書いてもらい大きな病院に行きました。そして様々な検査を経て、狭心症という病名が下りました。プロでさえも、すぐに診断できないような状況でした。
今、考えるとゾっとします。「もしカーブスで運動していなければ」「胸の痛みをそのままにしていたら」「町医者の診断結果で納得してそんなものかと思っていたら」「大きな病院で、運動による負荷をかける検査をしていなかったら」いくつもの「もし~しなかったら」という過程を通り越して病気を見つけられたのはラッキーだったかもしれません。違う選択肢を選んでいたら、突然死もありえたかもしれません。
ただ、入院して様々な検査をし、病気を特定し、手術をするなど、入院に2週間かかりました。その間、心臓の病気なので"絶対安静"ということで、寝たきり生活を強いられました。退院しても安静に努めるように言われ、すっかり筋力が落ちてしまいました。
その事情をかいつまんで話すと、その方は、最後に、
「では、カーブスで病気を見つけてもらって、カーブスで治してもらったんですね(筋力をつけるという意味で)」とおっしゃいました。
(上手いことを言うなぁ)と私は思いました。その後は、互いに挨拶をして別れました。
別れた後、何かうれしくて体の奥から温かいものが込み上げてきて、足取りも軽やかになりました。
一生懸命努力したことが褒められるのは、誰しもうれしいものです。
年を取ってからの寝たきりの期間が長ければ長いほど筋力が低下することを身をもって理解しました。退院後も週1回(本人にとっては)一生懸命カーブスに通うも、少しずつの変化しか見られません。確かに昨日より今日、今日より明日の方が、少しずつ向上しているのはわかりますが、本人にとっては著しい変化ではないので、あまり励みにはなりません。肉親や友だちといういつも周囲にいる人たちに少し褒められても(お世辞を言っているのではないか)とあまり喜びにはなりません。
でも、この日のようにカーブスでご一緒するけれど、何も知らないご婦人が、わざわざ帰り道に呼び止めて、褒めてくだるなんて!と感動してしまいました。
一生懸命頑張っていると、知らない方も、その頑張りを、きちんと認めてくれるんだなぁと再認識しました。
「カーブスを続けていて良かった!!」
その日の帰り道、小杉方面に林立するタワーマンション群の間に見える夕焼けが、いつもに増して美しく感じられました。