私の通っているカーブスは家から歩いて15分ほどのところにあります。とても通いやすい場所なのに、入口に辿り着くまでに数年もかかった遠いところでした。私にとって「運動」は実に遠い世界だったのです。
初めてカーブスを意識したのは10年近くも前でしょうか。時々ランチをする友達が通っているのを知った時、えっ?と思ったのは、失礼ながら運動に関しては私と同レベルくらい縁がない人だと思っていたから。その時はへぇ~と思っただけで終わりましたが、頭の片隅に「カーブス」がインプットされたのだと思います。
50年近くも働いていた生活に飽きてきた私は70歳になったら仕事をやめようと決めていました。働こうと思えばまだ続けられる職場だったけれど、自分で区切りをつけなければ辞め時がなくなる気がして、予定通りに70歳で退職しました。辞めようと決めた数年前から、これからは今までの人生でしたことのないことをしてみようと思っていました。したことのない1、2を争うのが音楽と運動。
音楽はとある音楽教室の歌の講座。歌といってもメインは発声で歌がうまくなるのが目的ではないものだったけれど、2年ほど通ってみて、音痴とリズム感の無さを再確認しただけでした。1番ハードルが高かった(富士山とは言わないけれど高尾山くらい...)運動は、近くの区のスポーツセンターでやっていた高齢者向けのリズム体操に行ってみました。これがまあ!そもそも先生と同じ動き方ができない、動きを考えているうちに次に進んでいるみたいな有り様。少しは頑張ってみたけれど、3ヶ月毎の抽選、決められた時間(当り前ですが)、大勢での運動等々少し気が重くなってきた頃に抽選にはずれたのを機にやめました。
私は自他共に長生きすると認められているし、人生の最後まで自力で生きるのが目標。まだまだ残っているであろう日々をどう過ごしたらいいのか。テレビを見て気がついたら夕方なんて生活への罪悪感も手伝って、このままではまずいよなーと思い始めた頃にやっと「カーブス」が現実味をおびてきました。
退職してから1年以上たった頃、今行かなければ行かずに終わってしまうと意を決して申し込んだ体験。当日はドキドキもので扉を開けました。そこで目にしたのがマシンを扱う多くの女性と、とにかく明るいコーチ。説明を聞いて少し体験してみて、いくばくかの勇気と共に入会しました。体験の時の測定(腹筋とか...)はどれもこれも恥ずかしいぐらいにできませんでした。マシンも重かった。友達に「できないところから始めた方が効果が分かっていい」となぐさめられながら、おそるおそる私のカーブスが始まりました。それが2年と10ヶ月程前。ここまでが前おきです。ずいぶん長くなってしまいましたが、カーブスは遠かったということです。
カーブスに通い始めたのはコロナが明けかかった頃で、世の中が動き始めたのと時を同じくして私も再起動。ただ、明確な目標があって通ったというよりは、まだ旅行に行きたいところもあるし、友達とランチもしたいし、体力の現状維持ができればいいなぐらいの気持ちでした。行くところができて良かったとか、せっかく入会したのだからお金ももったいないしぐらいの意識だった気がします。それでもマシンを動かす早さが入会時の倍くらいになってきたと思い始めた頃から、身体が若干変わってきました。以前は首回りの鎖骨が目立って襟ぐりの広い服が着れなかったのだけれど、いつの間にか骨が目立たなくなっていた。ブヨブヨだったふくらはぎが少し固くなってきた。長年、血圧が高かったのだが、医者に「何かしてますか?」と言われるほど低くなって薬の量が半分になった。体重も体脂肪もゆるやかに低下気味、身体は正直なものですね。これが筋肉効果で嬉しい変化なのですが、それ以上に精神的な恩恵が大きいと思っているのです。恩恵と言いたいぐらいの思いがけない効果でした。行くだけで褒めてくれるところなんてカーブスくらい。時には賞状までもらえたりする。張り切って行く日もカラ元気で行く日もちゃんと見てくれていて、頑張ろうと思うような声掛けをしてくれる。私にカーブスをインプットしてくれた友達が「褒められるのが段々と心地良くなってくる」と言っていたのがよーく分かるようになりました。
最近は運動している時にも目に入るいくつかの標語のような貼り紙の中で「迷ったら来る」が好きです。何かと口実をつけて迷いながら行った日の方が、より達成感を味わいながら帰っている気がします。そして「迷ったら...」はカーブスに行くだけに限らず普段から心掛けようと思うようにしています。いくら元気に長生きする予定とは言っても、もう70代も半ば。何かをするのも、どこかに行くのも、迷っているほどに時間は長くはないのです。そのためにも大事な体力!体力も気力も強くしてくれるカーブスに出会えて良かった。同じ15分でもぐっと近くなったカーブスにこれからも褒めてもらいに通おうと思っています。