4年前のカーブスエッセイに、「高齢の母と、左半身麻痺の状態で生活している弟の手助けをするため、自宅と実家を行き来している」と、書きました。その後実家に戻り、カーブスも近くにあるのですが、オープン当初から通っていて、スタッフやメンバーさん方々も顔なじみなので、今までと同じ「沼津北」に通っています。

 昨年12月に、筋力の低下により、弟が自宅で5回転倒。今年1月から、歩行困難になり、車椅子での生活となりました。肋骨も骨折していたので、自分の力だけでは立ち上がることもできず、ベットへの移乗、トイレ誘導、玄関にはスロープを置いて運び上げるのですが、どれもかなりの力が必要で、私はカーブスでよく言われる"腹圧"を入れて、介助していました。しかし、毎日のこととなると、私の体力にも限界がきそうな予感がして、施設への入所も検討し始めました。

 そんな矢先、今年の2月に弟が他界。自宅のベットで、眠るように旅立ちました。母も、昨年の夏、体調を崩し、1か月ほど病院に入院した後、施設に入所していました。息子(私の弟)の死は、知らせていなかったのですが、今年3月に他界しました。2月27日に91歳の誕生日を迎え、80代後半まで、息子の入浴介助をしていたのは、たいしたものだと感心していました。デイサービスで、簡単な運動をしたり、脳トレをしていた時期もありますが、一緒にカーブスに通いたかったなと、後悔しています。

 14年前、夫が大腸がんで闘病していた時は、仕事と看病の両立が難しく、一度カーブスを退会しましたが、今回は、2人の面倒を見ながら、すき間の時間を見つけて、通い続けました。マシンを動かしている間は、何も考えずに、神経を休めているような感覚です。スタッフも、私が語らずとも、顔色で疲れ具合を察知してくれて、声掛けをしてくれます。私は、沼津の南の方に引っ越しましたが、以前住んでいた北の方から通っている女性と、時々カーブスで顔を合わせることがあり、弟の死は知らせてあったのですが、その後、母の死を知らせると、思わず私の体を抱きしめてくれました。彼女のお母様も、昨年亡くなられているので、思いが重なったのだと思います。身内の死というのは、本当に悲しいものです。

 弟は、亡くなる2日前に「ラーメン、食べていいかな?」と、申し訳なさそうに言いました。夫がインスタントラーメンをよく食べていて、加工食品は良くないという私のイメージがあり、弟には作っていなかったのですが、施設に入所する前に食べておきたいと思ったのでしょう。「いいよ。メンマとチャーシュー入れるね。」と伝え、翌週、作る予定だったのですが、食べさせてあげることができなかった...。これが心残りです。弟は、10年におよぶ人工透析の副作用で、痛みや身体全体のかゆみ、血流も悪く、しもやけに悩まされていました。足を切断と言う話まで出ていたのですが、そこに至る前に亡くなり、痛みからも解放されたことは、良かったと思う他はありません。

 夫の死後、ひとり旅の楽しみを知り、軽井沢や神戸など、あちこちを歩き回りました。ここ数年は、安心して出かけられない状態が続いていたので、旅行も中断していましたが、落ち着いたら、又、再開する予定です。

 カーブスも、実質18年続けていますが、夫の闘病中、五十肩になり、再入会した時は、腕を使うマシンを持ち上げることができず徐々に慣らしていたのですが、1か月経ったときに、両手で持ち上げることができ、感激しました。筋肉がついてきた証拠です。カーブスに入っていなかったら、自宅に引きこもり、筋肉も低下し、今の身体の状態は保てていなかったはずです。30分間の自分だけの時間。メンバーの方々と、同じ空間で、心地よく運動をする。言葉は交わさずとも、ここに来て、支えられているなーと、感じています。弟の介護をして...自分の力で立てること、歩けること、美味しく物を食べれること、よく眠れること。これらの重要性を、つくづく感じました。カーブスは、食事をすることと一緒で、欠かすことのできない、体力と気力を維持するため、努力をしていく場所。あと2年で、70代に突入しますが、今の私の目標は、90歳まで続けて、カーブスマガジンに載ること。

 弟の死後、母を自宅で介護する覚悟で、仕事を退職することにしました。しかし、それが叶う前に母が亡くなり、迷いましたが、気力も低下していましたので、辞めることにしました。人生の最終章に入ります。生活のリズムを保つため、カーブスに通い、筋力を蓄え、健康な身体を維持して、ひとり旅を楽しむ。カーブスに勧誘してくれたスタッフ、毎回気を使ってくれるスタッフ、見慣れたメンバーさん達の顔、皆々様に感謝です。人生は一度きり。過去には戻れません。未来は、自分が切り開く。とはいうものの、1人きりでは、何もできません。ひとり旅と言っても、その土地の人と会話をしたり、風土に親しみ、思いを共有します。趣味のオカリナ教室も、6年目に入り、演奏会に参加できるようになりました。何事も、続けていれば、成果も出ることと思います。

 これからも、カーブスのスタッフに支えられながら、名簿の1番上に記載されている、自分の名前を誇りとして、頑張ります。